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お正月中国旅行検討の方へ

 投稿者:合コメール  投稿日:2011年12月22日(木)11時04分54秒
返信・引用
  お正月中国旅行検討の方へ

中国で合コンしましょう

http://ameblo.jp/gokonchina1/
 
 

流学日記 in タイ 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 6月11日(土)18時23分51秒
返信・引用
  ★バンコク&アユタヤ遺跡(2/24~3/18)★
 

流学日記 in タイ 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 6月11日(土)18時21分28秒
返信・引用
  ★バンコク(2/24~3/18)★
 

スマートホン買って。。。

 投稿者:すま  投稿日:2011年 4月 2日(土)23時07分11秒
返信・引用
  久しぶりにしゅうたのHP見たら、結構大変なことになっとるやないか~!!
大丈夫かい?後遺症とかないとええけど。
しかし、しゅうたは昔からなぜかサッカー部いち喧嘩売られることが多かったもんな。
タイ人からもやられるか~。
写真みとったら完全に東南アジアか中東の人やもんな、どうみても日本人には見えへんし、
強盗とかではないんか?

ほなまた近々姫路戻ったら、連絡するから飲みにいこうや!!
 

緊急帰国・・・

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 3月19日(土)16時51分4秒
返信・引用 編集済
  2月22日、プーケットのビーチでいきなり見知らぬタイ人の男に右目を強く殴られました。(殴られたのは俺だけで優は大丈夫でした。)
犯人は逃げようとしたけれども直ぐに取り押さえ、付近にいた警察に逮捕され、留置場へ。
こちらも警察に行き、調書を取った後、病院で応急手当。

その後、バンコクへ移動し総合病院へ。

2月27日:CTによる精密検査。
2月28日:検査結果が判明。眼球自体は大丈夫だが目の下の骨が折れており、入院・手術が必要との事。
3月01日:入院・手術。無事に成功しました。(全治3ヶ月程度。)
3月04日:退院。
3月07日:簡単な再検査。
3月14日:抜糸、CTによる再精密検査。
3月15日:検査結果判明。航空機に乗る許可も貰え、今後は帰国して静養する事に。
3月18日:バンコク発、上海経由で岡山空港へ。

以上のような経緯で昨年3月10日の出発より1年と9日間・31ヶ国を旅した所で無念の帰国となりました・・・。

今後の予定は一旦白紙に戻し、実家で目を治すのに専念します。

と言うわけで今は深志野の家におりますが、目以外は非常に元気なんで皆様時間あるときは是非是非相手になって下さい!
079-253-1812っす。(携帯は持ってまへん・・・。)

よろしくお願いします!!

※とりあえずはこの掲示板を書き続けるので読んで下さい~。
 

流学日記 in タイ 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 2月26日(土)12時59分28秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:バンコク。
【ひと言】:とりあえずここで少しゆっくりします。

★プーケット島(2/19~2/23)★

タイで人気NO1のビーチであり、東南アジア全体でもバリ島と並び人気の高いプーケットに来ました。
ペナンやランカウイよりも海は綺麗く、人は多く、街は活気があり、なかなか楽しい所です。

日本人観光客も多いですが、何といっても西洋人が多く、ビーチ・レストラン・バーなど『ここはヨーロッパのリゾート地か?』と思うほど白人でごったがえしています。
彼らの大半は昼はビーチで泳いだりパラソルの下で読書や昼寝をしてゆっくり。夕食後は明け方までディスコやバーで狂ったように飲みまくり・踊りまくり、といった所で、『楽しみ方が自分達とは違うな~』って感じます。

まっ、どちらが良いわけでもないと思うので自分たちは自分たちのペースでのんびり楽しんでます~。

【1.パトン・ビーチ】
    プーケットで一番人気のあるビーチ。泳ぐ以外にも多数のマリンスポーツも楽しむことができ、しかも結構安い。南国ムードもありあり。カクテルやトロピカルジュースも売っており、リゾートって感じです~

【2.ゾウ】
    インドもゾウが好きであったがタイも負けず劣らずゾウ好きらしい。本物と写真を撮るのは結構高かったので置物と・・・

【3.仏教寺院】
    仏教の国に入り、至るところにお寺があります~、どれも派手派手です。
 

流学日記 in マレーシア④

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 2月18日(金)17時34分16秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きランカウイ島。次はプーケット島へ。

★ランカウイ島(2/15~2/18)★

 ペナンから高速船で北へ3時間、マレーシア北部にある島:ランカウイ島に来ました。
 ここはペナンよりは大分静かで、そこそこ海も綺麗で、ぼちぼち過ごし易い所です。でも残念ながら楽園って言うには程遠いかな~って感じです。

『伝説の島』と呼ばれているらしく、数々の伝説が残っています。
例えば、『巨大なイーグルが舞い降りてど~のこ~の』とか、『悲劇の王女があ~だこ~だ』とか・・・、ふ~んって程度の物です。

まぁ、そんな所ですが、2人とも暑さにやられてバテ気味の為、ゆっくりのんびりしてます~

【1.伝説の?イーグル】
 いまいち何の伝説かが良く分からんかったけど、とりあえずランカウイ島のシンボルらしい。

【2.パンタイ・チェナン・ビーチ】
 ペナンの海よりも大分綺麗かったので泳ぎました~。雰囲気も南国らしくてGOOD。日焼けが痛い・・・。

【3.ショッピングセンター】
 あまりに暑いからショッピングセンターに逃げ込み、ええ感じの所でビールを。この島は何とマレーシアで唯一免税となっている島で、ビールが安い!(缶ビール1本45円~!)
 
 

流学日記 in マレーシア③

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 2月18日(金)14時00分56秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ランカウイ島。次はプーケット島へ。
【ひと言】:日中は35℃くらいで、湿度もかなり高いっす。

★ペナン島(2/11~2/14)★

 マレーシアNO.1のリゾート地であり、『東洋の真珠』の別名を持つ島:ペナン島に来ました。
 ここは昔からの人気のリゾート地であると共に、近年では日本などから退職後の移住先や長期滞在先として人気を博している所です。

 もしかしてここも地上の楽園か?と思い来てみましたが・・・、(話には聞いていたが)海は全然綺麗でなく、島の人口の7割が中華系のため街は漢字だらけ&やかましい中国人だらけ・・・。
 物価が安いのは良いとしても、「なんでここがそんなに人気があるんやろ?」ってな感じです~

 もっと年をとれば良さが分かるのでしょう~か?

【1.バトッ・フェリンギ・ビーチ】
  ペナン島で1番綺麗と言われているビーチ。水は濁っていた。雰囲気もあまり良くない上に物売りも多くてうざい。
  結局1回も泳がずじまいである。

【2.とある高級ホテル】
  ここは高級ホテルだけあって南国ムードがあり、いい感じ!

  勿論、忍び込んで写真を撮っただけで、宿泊したわけではない。

【3.屋台】
  ペナン島やマレーシアに限らず、東南アジアは何処に行っても屋台だらけ。
  一人200円くらいでお腹いっぱい食べれる。しかも美味しい!
  ただし、アルコール類は税金がめちゃくちゃ高くて、日本並みの値段。(缶ビールが本体は1本50円くらいやのに、税金がついたら200円くらいになる・・・。)
  
 

流学日記 in マレーシア2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 2月14日(月)13時09分16秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ペナン島。次はランカウイ島へ。

★クアラルンプール(2/7~2/10)★

首都、クアラルンプールに来ました。
ここはシンガポールと同じような感じがする街で、緑の中に高層ビルが立ち並び、清潔で治安がいい所です。
これっと言った歴史的見所が無いのが残念ですが、中々過ごしやすいところです~

【1.ペトロナスツインタワー】
  高さ452mの88階建てのツインタワーで、完成した1998年から2003年まで世界一高い建築物であった。(台北に出来た509.2mの『台北101』にとって変わられた。現在の世界一はドバイにある『ブルジュ・ハリーファ』で、828.0m。)
  2本あるうちのひとつは日本が建てて、もうひとつは韓国が建設。タワー間をつなぐ橋はフランスが作って、デザインはアメリカ人がやったとか。
   マレーシア人もちょっとは頑張れよ・・・。

【2.街並】
    イスラム風の建物と高層ビル。この他、イギリス占領時代の建物やチャイナタウン、インド人街など、様々な民族や文化が混在している街。

【3.シャー・アラム・スタジアム】
    こちらはアトランタオリンピックの最終予選が行われたスタジアム。中々立派な捨たじあむで、クアラルンプール郊外にある。
    準決勝のサウジアラビア戦、懐かしき『前園』の2ゴールで2対1で勝利。銅メダルを獲得した1968年のメキシコオリンピック以来、28年ぶりのオリンピック出場が決まった。
    右側のゴールが前半の先制点・左側が後半の追加点のゴール。
 

流学日記 in マレーシア①

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 2月 9日(水)17時26分13秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:クアラルンプール。次はペナン島へ。
【ひと言】:暑い・・・。

★ジョホールバル(2/2~2/6)★

 カルカッタからシンガポールへ飛んだのはいいものの、シンガポールは日本やヨーロッパ並みに物価が高く、ホテル・食事・移動・・・、何をするにも高くつきます。
 って事で、シンガポールには泊まらずに、すぐ近くにあるマレー半島最南端の街:ジョホールバルに泊まり、シンガポールに遊びに行くことにしました。(片道1時間、一人300円くらいで行ける近さ。)

 ジョホールバルには特にこれと言った観光名所はないけど、何と言っても『ジョホールバルの歓喜』があった所です。
 と言うわけで、バスで10分・徒歩で10分のところにある『ラーキンスタジアム』の見学に行ってきました~

【1.ラーキンスタジアム】
  1997年11月16日、フランスワールドカップの最終予選の第三代表決定戦であった『日本代表VSイラン代表』が行われたスタジアム。
  かなり寂れておりぼろぼろで残念・・・、ここで日本代表が試合をし、ワールドカップ初出場を決めた所とは思えなかった。
  今はもう使われていないようである。
  日本から来たファンでジョホールバルの小さい街が溢れかえり、ホテルを確保できなかった大量の日本人が駅やスタジアムで野宿をしていたとか。

【2.ゴール】
  中山の先制点、そして『岡野のVゴール』が決まったゴール。アジジの同点ゴール・ダエイの逆転ゴールもこちら側。城の同点ヘッドのみ逆側。
  上の写真で言うと、奥側のゴールが4人のゴールで、手前が城のゴール。左手のメインスタジアムの下に両国のベンチがあり、Vゴールが決まった瞬間に岡田監督や選手たちが飛び出した所。

【3.シンガポール動物園】
  有名な動物園にも遊びに行きました~
  『ジャングル動物園』として知られているこの動物園は普通の動物園とは違い、一切『檻や柵が無い』動物園です。トラやライオンなどの猛獣もいるのにどのようにしているのか?と思っていたら、木や川などを上手く利用していました。
  その辺をワニが悪そ~な顔をして歩いていたり、頭上の木の上でオラウータンが飛び跳ねていたりと、他とはまったく違った動物園でした~


 

流学日記 in シンガポール 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 2月 5日(土)18時45分42秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ジョホールバル。次はクアラルンプールへ。
【ひと言】:コンビニ発見!出発以来初です。

★カルカッタ(1/30~2/1)★
  カルカッタは特に見所もなく、面白みに欠ける街でした・・・。とりあえず無事に『カレー食べ放題』から脱出できて良かったです!

★シンガポール(2/2~2/6)★

 世界で一番汚い(と思われる)国から、世界で一番綺麗(と思われる)国へ移動しました。
 ゴミを捨てたら『罰金』、唾を吐いたら罰金、なんでもかんでも『罰金』、とりあえず『罰金』、らしいです。
 そんなおかげで確かに街は綺麗です。
 ただ、歴史も浅く・見所も少ないので、カルカッタとは違う意味で面白みが少ない街かな~って気がします。

【1.中心街】
  東南アジア1の金融センターであるだけあり、大都会でした~、下にチョコッと見えるのが新マーライオン。

【2.マーライオン】
  『世界三大がっかり名所』の1つでもあるマーライオン、上半身がライオン・下半身は魚である。あまりにもしょぼいと言うことで、見栄えのする5倍くらいの新マーライオンを新しく作ったとの事。
  こちら向きに移っているのが本物のマーライオンで、向こう向きに移っているのが海に向いて水を吐いている新マーライオン。
  ブリュッセルの小便小僧と同じく、『噂に違わぬしょぼさ』で安心しました。

【3.ラッフルズホテル】
  世界でも名高い高級ホテルである。近代シンガポールの祖であるイギリス人の『トーマス・ラッフルズ』の名前を取り、1887年にオープンした。

  勿論、宿泊した訳ではなく、見学しに行っただけである。

  超ベタな事ではあるが、このホテル発祥のカクテル:『シンガポール・スリング』を飲んでみよう!と思っていたが、1杯2,000円以上したため、諦める事に・・・。






 

流学日記 in インド 5

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月31日(月)16時43分41秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:カルカッタ。次はシンガポールへ。
【ひと言】:インド疲れた・・・。

★ブッダガヤ(1/27~1/29)★

約2500年前にブッダが悟りを開いた村、仏教にとって『最大の聖地』であるブッダガヤに来ました。

小さい村ですのでインドのわりには静かでいい所ですが、やはり観光地化してしまっている所もあり、ホテルやお土産屋・リキシャなどの客引きがうざい・・・。
皆が皆、口を揃えて日本語で「数珠買わない?数珠買わない?安いよ~ 本物だよ~ 数珠買わない?」・・・。

ちなみにブッダとは『悟りを開いた人』の意味らしく、『シャカ族』に生まれた『シッダールタ』さんが悟りを開いて『ブッダ』の称号を貰った。が正式らしい。

【1.マハボディー寺院】
  ブッガが悟りを開いた場所に建てられた寺院。中にはブッダの生き写しである仏像が安置されている。

【2.菩提樹】
  マハボディー寺院の真裏にあるガジュマロの樹。
  29歳で出家した後、6年間近くの山で絶食し修行。村に下りて来た後、この樹の下で49日間瞑想し、悟りを開いたとのこと。
  ここにブッダが座っていた『金剛宝座』があり、仏教徒にとって神聖な場所とされている。

  オウム真理教の麻原彰晃が弟子とともにここを訪れた時に勝手に金剛宝座に座り、現地の人に袋叩きにされた上に引きずり下ろされたらしい・・・。
  にっぽんの恥である。

【3.大仏】
  で~んと日本が建てた大仏もありました~
 

流学日記 in インド 4

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月29日(土)20時00分19秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ブッダガヤ。次はカルカッタ。
【ひと言】:あと数日でインドを脱出します~。

★バナラシ(1/22~1/26)★

ヒンドゥー教の『聖地』であり、聖なる『ガンジス河』が流れているバナラシへ来ました。

ヒンドゥー教徒はこの聖なる河で『沐浴(水浴び)』をすることによって、これまでに犯した罪が洗い流されると言われています。
何と都合のいい河・・・。

そのため外国の旅行者も多いところですが大量のインド人観光客が押し寄せている街です。

聖なる河の割にはめちゃくちゃ汚く、洗濯をしている人もいれば火葬場で焼いた遺灰を流していたりもします。(人間や牛の死体が流されることもあるらしいです。)

しかし、ヒンドゥー教徒には聖なる河でも日本人が沐浴すると『下痢・高熱・腹痛・吐き気・めまい・・・』、その他諸々ありとあらゆる病気にかかると恐れられています。

そういう訳で、沐浴する気力も根性も無いのでちょっと指先をつけるだけにしておきました~

【1&2&3】
 ガンジス河
 

流学日記 in インド 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月26日(水)18時49分21秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:バナラシ。次はブッダガヤ。
【ひと言】:ガンジス川は道頓堀並みの汚さ・・・。

★アグラ(1/17~1/21)★

アグラにやって来ました。
ここは1526~1858年までインドを支配した『ムガール帝国』が、その最盛期である『第3~5代皇帝』の時代に都を置いた所です。

その権力と権威の象徴でもある立派な『アグラ城』がありますが、何と言っても一番の見所は第5代皇帝の『シャー・ジャハーン』が妻の霊廟として建設した『タージ・マハル』です。

ペルシャやアラビア、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造したこの建物は、『世界で一番美しい建造物』と言う人もいるくらいです。
実際見てみると思っていた以上に素晴らしく、インドをちょっと見直しました~

・・・とは言え、ムガール帝国は純粋なインド人の国家ではなく、『モンゴル帝国』の末裔が中央アジアに作った『ティム-ル帝国』のさらに末裔がインドに侵略して建てた『侵略国家』であったとの事。
純粋なインド人にはやはり無理なんかも・・・。

それにしてもこの街も賑やかでやかましい・・・。

【1.アグラ城】
  タージマハルを建設したシャー・ジャハーンは息子によるクーデターで退位させられ、アグラ城の塔に7年間幽閉された。
  塔からタージマハルを眺めながら71歳で亡くなったらしい・・・。

【2&3.タージマハル】
  で~んとタージマハル!
 

流学日記 in インド 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月21日(金)14時43分15秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:アグラ。次はベナレス(バナラシ)。

【ひと言】:カレーに飽きてきた・・・。

★ジャイプル(1/14~1/16)★

デリーの南西約260kmにあるジャイプルに来ました。
『ムガール帝国』の皇帝に仕えた『マハラジャ』(インドの貴族で、日本で言う大名みたいなもの。)によって作られた街で、約10kmのピンク(赤茶)色の城壁に囲まれており、中の建物もピンク(赤茶)色をしている事から、別名『ピンク・シティー』と呼ばれています。

でも名前の様に可愛いらしい街では無く、賑やかでやかましい・・・。ホンマにインドはやかましい・・・。

【1.風の宮殿】
    マハラジャが宮廷の女性たちを住まわすために作った宮殿。1799年に完成。
    周りは賑やかだが一歩中へ入れば静かで、風通りが良く、名前に相応しい宮殿であった。

【2.リキシャ】
      日本の人力車を参考にして作られたもので、写真の様な『自転車リキシャ』とミゼットの様な3輪車で引っ張る『オートリキシャ』がある。
    の~んびりしていてなかなか楽しい乗り物である。

【3.神様?】
    どの宗教の何の神様か分らへんけど、皆がこのような派手派手しい変った神様を必死に拝んでいた。
 

流学日記 in インド 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月17日(月)01時00分40秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ジャイプル。次はアグラへ。

【ひと言】:昼は暑いけど朝晩は肌寒いくらいです。

★デリー(1/10~1/13)★

インド、
インダス文明発祥の国
ヒンドゥー教・ジャイナ教・シーク教・仏教
11億の人口がいる巨大国家
戸籍のない人が他に1~5億人くらいとか、誰にもはっきり分からんらしい・・・
カレ~
汚く臭く、危険・・・

そんなインドの首都、『デリー』にやって来ました。

聞いていた通り・想像していた通り、人や街は汚くて臭い・・・、ホンマに臭い・・・、めちゃくちゃ臭い・・・。交通事情は無茶苦茶・・・、物価は劇安!
そんな国ですが、人は良い人が多く、ご飯はめっちゃ美味しい。

色々な意味ではげしい国ですが、なかなか奥深くて楽しい国です~!

1.牛と人間が同居する国。ほかにも猿・犬なども多い。

2.朝カレ~・昼カレ~・夜カレ~、1日3カレ~。『ミスターカレ~』と呼ばれても仕方がないくらいカレーを食べてます。
  美味しくて安くて大満足!
  ここは大分きれいなレストランです。

3.マハトマ・ガンディー暗殺場所。
  1948年1月30日、『非暴力・不服従』を貫き、イギリスから独立を勝ち取った『独立の父:ガンディー』が、同じインド人の狂信的なヒンドゥー原理主義者によって暗殺された場所。
  追悼碑が建っていた。
 

流学日記 in イギリス 4

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月14日(金)01時31分22秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:デリー。次はジャイプルへ。

【ひと言】:イギリスからインド、劇的に世界が変りました・・・

★ロンドン(1/3~1/9)★

最後のヨーロパであるロンドンを歩き回りました~。
次はいつこれるやろ~・・・?

【1.シティ】
      『ロンドン発祥の地』であり、現在でも世界の金融の中心地の1つ。近代的なビルと古い石造りの建物が混じっており、雰囲気のある所であった。
        多くの人が颯爽と歩き、てきぱきと仕事をしていた。
        やけど東京の方が全然建物がでかいし人も多いと思った。

【2.ロンドンブリッジ】
        有名な橋だが全く面白みのない『普通~の橋』であった。上記のシティからテムズ川に南北に架かる橋で、1973年に開通。

        ここに初めて木製の橋が作られたのは西暦46年で、侵略してきたローマ人によってである。
        その後、1750年に西側に『ウェストミンスター・ブリッジ』が架けられるまでロンドン市内でテムズ川に架かる橋としては唯一のものであった。
        『唯一の橋』であるにもかかわらず洪水や火災などの天災、戦争や放火などの人的災害で何度も何度も崩れ落ちたとの事。
        橋が壊れるたびに市民は、『またロンドンブリッジが落ちた・・・。』と言い合い、それによって『ロンドン橋落ちた~』の歌が生まれたらしい。

【3.タワーブリッジ】
        こちらは格好良かった!!『ロンドン名物』のタワーブリッジ!
        ロビンマスクの必殺技でもある。

        ロンドンブリッジより1つ東に架かる橋で、1894年に作られた。
        跳ね橋であり、今でも回数は少ないが大型船が通過するたびに開閉する。

        第二次世界大戦ではドイツ軍による空爆の攻撃目標になり、被害を受けたらしい。

        真横には中世の城塞であり、身分の高い政治犯を幽閉・処刑する監獄としても使用された『ロンドン塔』がある。
 

流学日記 in イギリス 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月 9日(日)07時12分19秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きロンドン。次はデリーへ。

【ひと言】:明日でヨーロッパともおさらばです・・・

★ロンドン(1/3~1/9)★

ロンドンにきました。
ここは18~19世紀、大英帝国が黄金時代を築いた時代に世界の中心となった所であり、現在でもヨーロッパの中心として君臨し、東京・ニューヨークと共に世界の三大都市に数えられている街です。

街には強そ~な建物もあれば優雅な建物・近代的な建物などもあり、多くの見所と共に街歩きがとても楽しいです~。

でも物価めちゃめちゃ高い・・・。地下鉄1回乗るのに1人約600円・・・。
って事で広いロンドンを地下鉄を使わずに、根性出して歩いて観光しています~

【1.ウエストミンスター宮殿(国会議事堂)とビッグベン(時計塔)】
   強そうなロンドンを代表する建物。この景色が一番ロンドンらしい感じがした。
    カウントダウンの花火があがっていたのもこの辺りである。

    隣には歴代の王・女王の戴冠式や葬式が行われる英国国教会の『ウエストミンスター寺院』が、テムズ川を挟んで対岸には巨大な観覧車:『ロンドン・アイ』がある。

【2.バッキンガム宮殿】
    イギリス王室の公式の住居である宮殿。(現女王のエリザベス2世は平日はここで、週末はウィンザー城で過しているらしい。)
   有名な『衛兵の交代式』を見にいったが、人だかりでほんのちょっとしか見れなかった・・・。
    『イギリスで最もつまらないアトラクション』と呼ばれる事もあるらしいが、その理由が分った気がする・・・。

   ベルサイユ宮殿やウイーンのシェーンブルン宮殿に比べれば大分質素な感じがした。(あっちがやりすぎの気はするけど・・・。)

【3.トラファルガー広場】
    1805年にスペイン沖にあるトラファルガーで行われた『大英帝国vsフランス』の『トラファルガー海戦』の勝利を記念して作られた広場。ナポレオン戦争の局地戦である。
    中央の塔の上に立つのがこの戦いで英雄となったネルソン提督。(この戦いで死亡。)

   猿岩石がゴールした所でもある。
 

流学日記 in イギリス 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月 7日(金)05時34分29秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ロンドン。次はデリーへ。

【ひと言】:イギリス暖かい~

★ラフバラ(12/30~01/02)★

ラフバラ大学に留学中の大学の時の友人を訪ねました。
落ち着いた静かな街で、年末・年始をの~んびりと過せました。
色々日本食も作ってくれ、寝正月・食べ正月・飲み正月でした~。

【1.年越しそば】
    日本を離れてから初めて口にしたそば。ホンマに美味しかった~。(うどんはまだ1回も食べてへん・・・。)
   遠く離れたイギリスで食べれるとは思ってませんでした~

【2.カウントダウン】
    今まで見たことがない程の凄まじい規模の花火があがったカウントダウン!!をテレビで見ました。
    これはロンドンでやっていたもので、ビッグベン(時計塔)の辺りでやってました。(後ろに見えている観覧車はロンドンアイ。)
    2012年のロンドンオリンピックの開会式の予行演習も兼ねていたらしく、すごかった~

【3.】大学卒業後に東京で働き、退職後に海外青年協力隊でケニアヘ2年間赴任。その後、ロンドンでの語学留学を経てラフバラ大学で水質の勉強をしている友人。逞しくも気の良い友人と5年ぶりに再会し、飲み明かしました~
 

流学日記 in イギリス 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月 2日(日)19時41分41秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きラフバラ。

【ひと言】:鍋・年越しそば・餅・ちらし寿司・・・、日本食を堪能しています~

★リヴァプール(12/27~12/29)★

大英帝国の海の玄関口として栄えた街であり、ビートルズ誕生の街として知られるリヴァプールに来ました~

ここは17世紀頃までは人口600人程度の小さい街でしたが、18世紀以降に大英帝国が(オランダとの戦争に勝ち)黄金時代を築くと同時に、北アメリカ・西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たし、発展しました。

しかし、主たる取引物は奴隷であった・・・、いわゆる奴隷貿易として栄えた負の遺産もあります。

街はデパートやショッピングセンターだらけのセントラル(こっちはあんまり面白くない・・・。)とベイエリアに分かれており、ぼちぼち観光したって所です。

正直、ビートルズの大ファン以外は別に来なくてもええかな~、って所でした~
(ちなみに俺はあまりよく知らへん・・・。)

1.アルバート・ドック
   ベイエリアにある船の積み荷を保管していた倉庫群を改造し、お店や博物館にした所。
   土産屋・レストラン・ビートルズ博物館・奴隷貿易の博物館などなどがありました~

2.イングリッシュパブ
   パブでギネスビールを飲みながら、肉やフィッシュ&チップス・・・、取り合えず典型的なイギリスを楽しんでみました~

3.中国門
   中国人はホンマにどこの国にでも住んどって、中華街を作ってます・・・。この門は中国本土以外にある門では世界最大らしい。それほど大きいとは思わんかったけど。
   周りの景観と合わへん・・・。   
 

流学日記 in フランス 6

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2011年 1月 1日(土)19時18分11秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ラフバラでまったりと年越ししました。

【ひと言】:明けましておめでとうございます。大雪は大丈夫ですか?

★パリ(12/20~12/27)★

パリは見所が一杯でした~

1.シャンゼリゼ通り
   パリの中心部のコンコルド広場から西にある凱旋門までを繋ぐ通りで、『世界で最も美しい通り。』とフランス人は言っています。
   『オ~シャンゼリゼ』の歌で世界的に知られているこの通りは中央が自動車道、左右の通りにブランドショップやクリスマスマーケットの店、街路樹のライトアップなどがあり、歩くと本当に優雅な気分になれます~

   ちなみにシャンゼリゼ通りを日本語に訳すと、『極楽浄土通り』というらしい。この通りに面して、サルコジさんが住むフランス大統領官邸である『エリゼ宮殿』があるが、これも日本語で言うと『極楽浄土宮殿』。
   変な名前~

2.ルーヴル美術館
   元々フランス王家の宮殿だったのを美術館に改装したもので、世界最大級の美術館の1つであるとともにヨーロッパで最古の美術館の1つである。『モナリザやナポレオンの戴冠』などの絵画・『ミロのビーナスやサモトラケのニケ』などの彫刻・『ハムラビ法典』など有名な物も多く、頑張って?見ました。
   最後は『見終わった!!』って感じでした。
   写真は入り口で、ガラスで作ったピラミッドやルイ14世の騎馬像がありました~

3.エッフェル塔
   『フランス革命100周年』を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された塔。万博に間に合わせるため、2年2ヶ月という当時としては驚異的な速さで行われたが、1人の死者も出さなかったとの事。(しかしながら現在では『自殺の名所』となっており、毎年多数の人が飛び降りているらしい・・・)

   あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれたが、今ではパリのシンボルになっている。
   ライトアップされたりクリスマスマーケットが開かれていたりと良い雰囲気であったが、お土産売りの黒人が大量におり、結構うっとうしかった・・・。

   ちなみに翼と岬が感動の再会を果たした場所でもある。


   この近くにはナポレオンが埋葬されている『黄金のドーム』もある。
   また、イギリスの王太子妃であった『ダイアナ妃』が1997年に事故死したトンネルもこの近くで、事故現場には追悼碑である『自由の炎』が建てられていた。
 

流学日記 in フランス 5

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月31日(金)19時26分20秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ラフバラ。友人宅で年越しします。次はロンドンへ。

【ひと言】:皆様の年越しは矢上家ですか?

★パリ(12/20~12/27)★

パリ郊外にある『ヴェルサイユ宮殿』に行ってきました。『ヴェルサイユのばら』の舞台になった所です。

ここフランスにはパリを首都とした王朝が5つありました。(メロヴィング朝→カロリング朝→カペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝)

その王政時代の最後である『ブルボン朝』の3代目の王であり、『太陽王』と呼ばれた『ルイ14世』が1661年に建設を開始したのがヴェルサイユ宮殿です。

フランスの『絶対王政の象徴的な建物』であり、『世界で一番美しい建物』と呼ばれているヴェルサイユ宮殿は、噂に違わぬ凄まじい宮殿でした~

1.前門
   門からしてかなり優雅な作りでした~。この先にもう一つ豪華な門があります。
   この日も雪が降り、寒い一日でした~

2.鏡の間
   キラっキラに輝いている部屋であり、ここで毎日舞踏会や食事会が開かれていたとの事。やりすぎ・・・、ってくらい豪華な部屋。
   王家の財政が貧窮していった理由が良く分かりました。
   こんな所で一回でも食事をしてみたいものである・・・。

   ちなみに第一次世界大戦後の調和条約であるヴェルサイユ条約が調印されたのもこの部屋。

3.王妃の寝室
   歴代の王妃が使用した寝室。
   5代目の王であるルイ16世の王妃、マリーアントワネットが使用した時を再現している。
   中央にあるのは隠し扉で、左側にはマリーアントワネットの胸像がある。
   1789年7月14日に民衆によるバスチーユ牢獄の襲撃でフランス革命が勃発した後、同年10月5日には暴徒と化してヴェルサイユ宮殿に乱入、その時のこのベッドで寝ていたマリーアントワネットは中央の隠し扉から逃走したとのこと。
   残念ながらルイ16世共々捕まり、パリ中心部にある宮殿で軟禁されることに。
   その後、オーストリアへの逃亡なども試みるが失敗。
   1793年1月21日、2万人の市民が見守る中、ルイ16世が、10月16日には後ろ手に縛られ肥料運搬車で市中を引き回された末にマリー・アントワネットがコンコルド広場のギロチン台で処刑された。

 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2010年12月29日(水)17時51分17秒
返信・引用
  げんきそうでなによりじゃ~。

http://himejin.com/yohhoi/index.html

 

流学日記 in フランス 4

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月27日(月)23時08分40秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きパリ。リバプールの次はラフバラへ。

★パリ(12/20~12/27)★

『華の都』・『芸術の都』と呼ばれ、『世界で1番優雅な街』と言われているパリへ来ました。

ここは、508年にフランク王国の首都になって以来、繁栄を続けている所です。

街にはブルボン王朝の頃からの建物などが多く残っており、優雅な街並と共に、見所も満載です~

1:バスティーユ牢獄跡とフランス革命記念塔
    ブルボン王朝末期の1789年7月14日、『ルイ16世』や『マリーアントワネット』の圧政に耐えかね、パリの民衆がこの牢獄を襲撃したことにより、『フランス革命』が勃発。
    現在は牢獄は完全に取り壊され、オペラ座になっていた。

2:コンコルド広場
    パリの中心にある広場。
    真ん中にあるオベリスクはエジプトのルクソールにある『ルクソール神殿』から持ってきたもの。
    フランス革命の時はこの辺りに『ギロチン台』がおかれており、ルイ16世国王やマリー・アントワネット王妃を初め、述べ1119人がここで処刑された。

3:凱旋門
    1804年に行われたナポレオン戦争の極地戦である『アウステルリッツの戦い』の勝利を記念して、翌年にナポレオンの命令で建設が始まった。
    ナポレオンは完成を見ずに亡くなり、遺骨になってから初めてここを通ったとの事。

    第二次世界大戦の時にパリを陥落させた『ナチスドイツ』はここにハーケンクロイツの国旗を掲げ、ヒトラ-は戦車にのってこの門をくぐった。
    これを見た全パリ市民が悔し涙を流したらしい。

    ちなみに『ピョンヤン』にも『金日成』が作った凱旋門があるが、この凱旋門を真似て作ったらしい。パリの凱旋門よりも10m高く、世界一高い凱旋門と自慢していたらしい・・・。
 

流学日記 in ルクセンブルク:1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月27日(月)21時41分55秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きパリ。次はリバプールへ。

【ひと言】:大雪でも何とか列車は動きました~

★ルクセンブルク(12/18~12/19)★

ルクセンブルク・・・、名前だけは聞いたことがありますが、どんな国かは全く知りません。
ガイドブックも無く、パソコンも無く、地図すらも持っていない有様ですが、『とりあえず行こう・小国に何があるのか見てみよう。』と言うことになりました。

超有名な観光地はありませんでしたが、非常に綺麗な街で、大雪も手伝って、街散策が最高でした~。(やけどめっちゃ寒かった・・・。)

国土は神奈川県や佐賀県くらいの広さであり、人口は約48万人。(神奈川県は約870万人、佐賀県は約87万人)。
非常に小さい国ですが、21世紀以降は1人当たりの国内総生産において『世界1位』と、非常に豊な国らしいです~。

1:街の景色
    崖に囲まれた非常に雰囲気のある街でした~

2:中心部
    ルクセンブルクを治めている大公の宮殿や国会議事堂・裁判所・市庁舎・大聖堂などに囲まれた広場もきれかったです。

3:クリスマスマーケットの店もええ感じ。
 

流学日記 in ベルギー:3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月27日(月)20時18分18秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きパリ。次はリバプールへ。

【ひと言】:ブリュッセルの写真っす。

★ブリュッセル(12/14~12/17)★

1:小便小僧
    『ブリュッセルの最長老市民』と呼ばれており、『ジュリアン君』の名を持つ1619年に作られた銅像。
    作られた理由に定説はないが、『ブリュッセルを敵の軍隊が取り囲んだ時、敵軍は城に向かって大砲を打とうとしたが、小便小僧が導火線をおしっこで消してブリュッセルを守った。』と言うのが有力らしい。

    世界中の国から衣裳をプレゼントされており、この日はトルコからの衣裳であった。クリスマスらしくない・・・
    ちなみに日本からの贈り物は『桃太郎』の衣裳である。

    残念ながら『世界三大がっかり名所』の1つに認定されており、その名に恥ないほどのしょぼさであった・・・。(他の2つはコペンハーゲンの人魚姫の像とシンガポールのマーライオンの像。)

2:EU本部
   ブリュッセルにはこの『EUの本部』以外にも『欧州議会』や『NATOの事務局』など様々な重要な国際機関が集まっている。
    『近代的な建物がそびえ建っており、警備は超厳重。』と思っていたが、以外に建物は古く、警備もゆるかった。
    1階まではノーチェックで入れたのは驚きであった。

3:ワーテルローの戦い跡
    『フランス革命』の後に権力を握り、フランスの皇帝となった『ナポレオン1世』がヨーロッパじゅうに侵略した『ナポレオン戦争』の極地戦であり、『最終決戦地』。
    ブリュッセル郊外のワーテルローで1815年6月18日に行われた。

    ナポレオンは当初連戦連勝であったが、『冬のモスクワ遠征』で負けたあと、『ライプチヒの戦い』でも敗れて失脚。イタリアのエルバ島に流される。
    この島を脱出し、再度皇帝に返り咲いた後、イギリス・プロイセン・オランダらの連合軍とこのワーテルローで戦った。

    両軍合せて300000人が戦った結果、フランス軍が46000人の死者を出し敗北。

    ナポレオンは再度失脚し、セントヘレナ島に流され、そこで死亡した。
    エルバ島脱出から再度失脚するまでが約100日だったため、『100日天下』と呼ばれている。

    この日から寒波に見舞われ大雪に。激寒の中最寄りの駅から片道5km歩いて行きました~。(優はブリュッセルでショッピング~)
 

流学日記 in ベルギー:2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月27日(月)20時07分3秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きパリ。次はリバプールへ。

【ひと言】:ブルージュの写真っす。

★ブルージュ(12/12~12/13)★

1&2:クリスマスマーケット
       市内の中心にある広場で開催されている。中央にスケートリンクがあり、周りをマーケットが囲んでいる。周辺の店もライトアップしており、クリスマスの雰囲気が良くでていた。

3:風車
    風車と言えばオランダのイメージだが、ベルギーとオランダは元々同じ国だったので、ここでも見ることができました~
 

流学日記 in ベルギー:1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月22日(水)07時07分23秒
返信・引用
  【現在地】:パリ。次はリバプールへ。

【ひと言】:写真添付できひんかった・・・

★ブルージュ(12/12~12/13)★
★ブリュッセル(12/14~12/17)★

(ブルージュ)

ここはベルギーの北西部(フランドル地方)にある街で、イギリスや北欧と貿易を行うために北海へ出ていく玄関口として栄えた所です。
中世の街並がそのまま残っている美しい街並は『天井のない美術館』と呼ばれています。
小さい街ですがクリスマスマーケットも最高に綺麗で、楽しい所です~。

(ブリュッセル)

ベルギーの首都であり、『ヨーロッパの首都』とも呼ばれているブリュッセルヘ来ました。
街は『小パリ』と呼ばれている環状線の内側が旧市街。『EU』や『NATO』の本部がおかれており、近代的な建物がたちならぶ環状線の外側が新市街、とはっきり別れています。

旧市街はヨーロッパらしい雰囲気のいい所ですが、新市街の一部に近年、アフリカ・アジア・中近東などからのイスラム系の移民が非常に増加し、現在では市民の過半数を移民系の住民が占めるとまで言われている程多くいます。(ブリュッセルで最近生まれた男子に最も多く付けられた名前は、「ムハンマド」らしい・・・。)
ホテルの近くが大アラブ人街になっており、危くはないけどヨーロッパの雰囲気が台無し・・・。
まぁ、そんな感じですが毎日楽しく過しています~
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年12月19日(日)10時05分10秒
返信・引用
  こないだギリシャで半そで短パンとかゆうてたのに
一転氷点下のとこって大変やなぁ。
日本も今週一気に冷え込んで初雪とかもニュースでやっています。(姫路はまだやが)
 

流学日記 in オランダ:2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月18日(土)01時46分42秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きブリュッセル。

★ハーグ12/10~12/11)★

この街には女王宮殿・国会・各官庁・各国大使館などがあり、『オランダの事実上の首都』と呼ばれている所です。(1974年には日本赤軍がフランス大使館を占拠した『ハーグ事件』がありました。)
その他にも色々な国際機関が集まっており、『現代のヨーロッパ』という感じの街です~

そんな街に来た理由は、『マウリッツハイス美術館』に行くためです。
オランダは美術の世界でも著名な画家を多数輩出しており、『ゴッホ・フェルメール・レンブラント・ブリューゲル・ルーベンス』らの作品が数多く残っています。
美術館好きの優が毎日楽しそうにしています~

ちなみに『トリビアの泉』でも紹介された『スケべニンゲン(scheveningen)』という名前の巨大な『ヌーディストビーチ』があるのもハーグである。

1.国際司法裁判所
   国際紛争クラスの裁判を扱う所。現在の所長は日本人の小和田 恆さん。
   最近『ナオミ・キャンベル』が西アフリカのシエラレオネ内戦の戦争犯罪を審理する国際戦犯法廷において、『紛争ダイヤモンド』を受け取ったかどうかの証言をするため、出廷した所である。

2.お菓子の家
   グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』に出てくるようなお菓子の家がいろいろなところで売られています~

3.ホテルのバー
   いいホテルに安く泊まれたのでちょっと奮発してホテルのバーへ、優雅な気持ちになりました~
 

流学日記 in オランダ:1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月18日(土)01時11分43秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ブリュッセル。次はルクセンブルクへ。

【ひと言】:飛行機はストライキせずに無事飛びました~

★アムステルダム (12/6~12/9)★

オランダは13世紀頃から発展した後発の国であり、面積も狭い小国ですが、17世紀には世界の海上覇権を握り、『17世紀はオランダの時代』と呼ばれた程の黄金時代を作りました。
江戸時代には日本が唯一貿易をしたヨーロッパの国で、様々な影響を受けた縁の深い国です。

そのオランダの首都、アムステルダムに来ました。

この街は5~6重に張り巡らされた運河に囲まれており、建物はレンガづくりで統一され、雰囲気抜群の街です。
しかもクリスマス時期のため街中にツリーが飾られ、イルミネーションが輝き、広場では『クリスマスマーケット』が開かれ、本当に綺麗です。
一方では中心部に『飾り窓』と呼ばれる娼婦の館が集まっている『飾り窓地帯』があったり、広いチャイナタウンがあったりと怪し~い所もありなかなか面白い街です。
氷点下の厳しい寒さの中ですが『冬のヨーロッパ』を満喫しています~

1.アムステルダム中央駅
   1889年に完成したレンガづくりの駅。この駅をモデルにして建てられたのが『東京駅』である。中央入口の両側に塔があるのも同じ。
   こんな建物ばかりで、東京駅と横浜や函館の赤レンガ倉庫、札幌のチョコレートファクトリーにハウステンボスを混ぜたような感じでしょうか~

2.アンネ・フランクの家(右奥にある教会の二つ左側)
   『アンネの日記』で有名な『アンネ・フランク』はドイツのフランクフルトでユダヤ人実業家の『オットー・フランク』の二女として生まれた。ナチスによるユダヤ人迫害から逃れるために一家でアムステルダムに移住するが、二次対戦が勃発し、アムステルダムもナチスに占領される。
   逃げ場が無くなった一家は1942年7月6日にオットーが経営する会社(ナチスにバレないように他人名義)の裏側の部屋を隠れ家として潜伏。
   ここで日記を書いた。
   1944年8月4日にゲシュタポ(秘密警察)に連行されるまでの約2年を一家4人を含む計8人で過ごした。
   8人は『アウシュビッツ強制収容所』に送られ、その後バラバラに。
   アンネや姉のマルゴーは『ベルゲン=ベルゼン強制収容所』に移され、二人とも1945年の3月に病気で亡くなった。
   ドイツ降伏の2カ月前の事であった。
   8人のうち唯一オットーのみが生き残り、1980年に91歳で亡くなるまで天寿を全うした。

3.飾り窓地帯
   運河の両サイドの建物に大きな窓があり、中から下着姿のおねえさん(おばさんもいた)が手招きをしている、ピンクネオン輝く怪し~い地帯。
   ぼちぼち客が入って行くのが見えてびっくり。
 

流学日記 in ギリシャ:8

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 6日(月)05時19分52秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:アテネ。次はアムステルダムへ。

【ひと言】:クリスマス市を見に行ってきます~

★アテネ(12/3~12/5)★

ロードス島からフェリーで『クレタ島』に行く予定でしたが、この路線もストライキに会い断念。ロードス島でのんびりしてからアテネに帰ることにしました。
クレタ島はヨーロッパ文明の発祥地であり、『ラビリンス(迷宮)』と呼ばれている巨大宮殿の遺跡があるので行きたかったが残念.....。でも遺跡はもう十分かな~って気もしたからまぁええっかって所です。

アテネに帰ってからは行っていなかったとこを観光したり、ネットをしたりしています~

1.12月に入り街はすっかりクリスマスの雰囲気です。せやけど半袖に短パンとは...、ギリシャはホンマに暖かい。

2.パナシナイコスタジアム
    1896年に第1回近代オリンピックが開かれた競技場。古代のオリンピック競技場にならい、トラック(1周330m)の直線が極端に長く、コーナーはヘアピンカーブ。総大理石造りのスタンドは4~5万人収容。観客席が馬蹄型になっているのが特徴。
   2004年のアテネオリンピックの男女のマラソンはスタート地点がマラトンで、この競技場がゴールであった。
   野口みずきがトップでゴールしたスタジアム。

3.ポセイドンのブロンズ像
    国立考古学博物館に展示されている。海中に沈んでいたのを捜索隊に引き上げられた。
    右手に持っているであろう三叉の鉾は見つからなかったが、それを投げる瞬間らしい。めっちゃまっちょ。
    この博物館はクレタ島以外の全ギリシャからの出土品を展示しており、かなり広く、見応え十分。ポセイドンのほかにもゼウスやアテナなどの神様の彫刻やアガメムノンの黄金のマスクなどがありました~。
 

流学日記 in ギリシャ:7

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 5日(日)17時06分39秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:アテネ。次はアムステルダムへ。

【ひと言】:オランダ寒そう.....

★ロードス島(11/27~12/2)★

ギリシャの一番東に位置し、『十字軍の騎士団』で有名なロードス島に来ました、トルコが目の前に見えます。(ストライキでフェリーが欠航したので飛行機で行きました。高くついた.....。)

この島も古くから人が住みだし、ローマ帝国時代にはカエサルやオクタビアヌスらも留学に訪れたことのあるほど栄えました。その後、アラブ人やベネチア人に支配されますが、島が劇的に変わったのは1306年に十字軍の一員としてエルサレムに駐在していた『聖ヨハネ騎士団』がイスラム軍に追われて逃げ込んできてからです。
すぐに島の実験を握った騎士団は『ロードス騎士団』と名前を変え、街を12メートルの高さの城壁で2~3重に囲み、街そののものを巨大な軍事要塞に変えました。

その後は約200年間平和な時代が続いたらしいです。

次に大きく変化したのは1522年。
1453年にコンスタンチノーブルを陥落させ、1503年にはロードス島を除く全ギリシャを支配下に置き、無敵の軍団と呼ばれた『オスマン・トルコ』が、『喉元のトゲ』であったロードス騎士団の制圧に乗り出しました。
騎士団の必至の抵抗も続かず、最後は180人になり、ロードス島を脱出。8年間放浪した後、マルタ島にたどり着き、マルタ騎士団と名を変えたらしいです。

街には騎士団時代の名残が多くあり、雰囲気最高です~

また、日中は20度を超す暖かさで、12月に入ったのに多くの人が海で泳いでいます。
早速バッグパックの奥から水着を取り出し、泳ぐことに。
やはり多少寒かったけど、エーゲ海の水は本当に綺麗でした~

1.城門・城壁と騎士団長の宮殿

2.十字軍のマークを看板に使ったワインハウスもいい感じです~

3.かつて騎士団が行進をした『騎士団通り』。中世の騎士が歩いている姿が目に浮かんできます。
 

流学日記 in ギリシャ:6

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 5日(日)02時25分34秒
返信・引用 編集済
  マラトンへも日帰りで行ってきました~

マラトンは現在のイランに首都を置いた『アケメネス朝ペルシャ帝国』とアテネやスパルタを中心とした『ギリシャ連合軍』が戦った『ペルシャ戦争』の舞台となった所です。
ペルシャ戦争はペルシャ帝国がギリシャに攻め込んだ戦争で、BC492年からBC449年まで3回に分けて進攻しました。
その中の『第1次ペルシャ戦争』の最終決戦となったのが『マラトンの戦い(BC490年)』です。
攻めるペルシャ軍は26000人、迎え撃つギリシャ連合軍は10000人。
圧倒的不利な中、ギリシャの名将:『ミルティアデス』などの活躍により、ギリシャ軍が勝利。
この時にマラトンからアテネまで一人の兵士が約40キロを休みなく走り、ギリシャの勝利を伝えた事より、『マラソン競技』が始まったと言われています。
(2004年のアテネオリンピックのマラソンのスタートはマラトンであった。)

ちなみに第2次ペルシャ戦争が一番の激戦で、圧倒的勢力のペルシャ軍の前にアテネも陥落。ギリシャ崩壊の危機にあったが、アテネの西にあるサラミス海に相手を誘き寄せ、名将:『テミストクレス』の活躍で逆転勝利。(BC480年のサラミス海戦。)
続く第3次ペルシャ戦争もギリシャの勝利でBC449年に和睦が成立し、終了となりました。

街には戦争やマラソンに関する資料館などもあり、なかなか面白い所でした~

1.古戦場跡
    な~~んもない平野でした。

2.街のいろんな所にこの様な銅像が飾ってありました~

3.マラソン博物館
   オリンピックコーナーがあり、高橋尚子の写真がで~んと飾ってありました。残念ながら野口みずきはおらへんかった。地元で行われたアテネオリンピックで優勝したのに...
 

流学日記 in ギリシャ:5

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 4日(土)19時46分16秒
返信・引用 編集済
  アテネから約70キロ南にあるス二オン岬に日帰りで行ってきました~

ここには海を司どる神:『ポセイドン神』が祀られている『ポセイドン神殿』があるところです。(BC444年に建てられた)。
ポセイドンはゼウスの兄であり、ゼウス以下12名からなる神の中でも特に位が高い『オリンポスの12神』の一人です。(他にはアテナや太陽神:アポロン、冥界の神:ハーデス、美の女神:アフロデューテ、軍神:アレス、酒の神様:ディオニソスなど)。
***オリンポスはギリシャ神話に出てくる神々が住んでいると言われている山***

『はだかで三叉の矛を持ったひげもじゃの怖そうなおじさん』の立像がよく残されている神様です~。

『世界で一番美しい神殿』と言う人もいるくらいで、特に夕日時が最高と聞き、その時間に合わせて行ってきました~
 

流学日記 in ギリシャ:4

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 4日(土)18時18分4秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ロードス島からアテネに戻りました。

【ひと言】:12月でも半袖で大丈夫なくらい暖かい!

★アテネ(11/20~11/26)★

ギリシャはヨーロッパの中で一番最初に文明が起こった国であり、『ギリシャ神話』や『古代ギリシャ』など、古代にまつわるものが数多く残っており、名前を聞くだけでも楽しくなりそうな所です。

そのギリシャの首都、アテネに来ました。

アテネはBC21世紀には村があったと分かっており、本格的に人が住みつき出したのはBC12世紀頃と言われています。
その後、BC7世紀頃には現在にも受け継がれている『民主主義』の政治形態の基礎ができ始め、経済・文化・軍事も発展し、強国になりました。
しかし、やはりどの国も同じく栄枯盛衰があり、BC1世紀には後発の国であるローマ帝国に占領され、属国となりました。
その後は何と約2000年間も他国に支配され続け、(ベネチアやオスマン・トルコなど)、独立したのは1829年になってからの事です。
特に400年に及んだトルコ占領時代が厳しかったらしく、街は荒廃し、人口は激減。その為、今現在でもギリシャとトルコは仲が悪いらしいです。

今現在はEUの一員として、西ヨーロッパの先進国として発展している・・・、と思って来てみると・・・、アテネは『最悪の街』です。
数年前から経済が崩壊しつつあり、リーマンショックでほぼ破綻状態に。街にはアラブやアフリカからの不法移民があふれ、ホームレスが至るところにおり、ゴミだらけで臭く、交通機関や観光地はストライキだらけ・・・。観光地の中心は何とかきれさも保っているが、その他の場所は最悪の雰囲気です。
去年や今年の夏にギリシャ全土でかなりのストライキがあったので多少覚悟はしていましたが、想像以上に悪化しており、正に『崩れゆく国家』を目の当たりにしたという気持ちで、もはや発展途上国に成り下がったと思います。(数年前まではきれいな街やったらしい・・・。)

アテナからロードス島→クレタ島→アテネとフェリーで行く予定でしたが全ての便がストライキで欠航。やもなく飛行機でロードス島に渡り、帰りは何とか運航し出したロードス島→アテネのフェリーで。チケットの払戻しにも苦労・・・。

しかもアテネからのフェリーが欠航し、ショックを受けていると・・・、置き引きにあってしまいました。
ショック・・・、この旅行初の盗難事件です。
盗まれたのはサブバックで、パスポートや現金などは入れていませんでしたが、アイポットやコート・傘・ビーチサンダル・カップラーメンなどが無くなりました・・・(被害総額は15000円くらい)。
長旅をしていると必ず盗難事件には会うらしく、中には10万円以上盗まれたり、パソコンやカメラを盗まれたりした人もおり、まだこの程度で済んで良かったと思うべきなんでしょうか・・・。
とにもかくにも油断があったのは事実で、今後は再発しない様に気をつけなければと強く思いました。

そんな最悪な街ですが、やはり見所は素晴らしく、観光は楽しくしています~

【1.ゼウス神殿】
    全知全能でいかづちを司どる最高神である『ゼウス神』をまつった神殿。(最高神といってもユダヤ教のヤーベやイスラム教のアッラーみたいに絶対神ではないらしい。)
    かつては104本の柱のある巨大な神殿であったが、現存するのは15本のみ。

    ギリシャ神話に出てくる神はどれも人間以上に人間臭く、浮気や妬み、果ては略奪や戦争など無茶苦茶な事ばかりをしています。
    ゼウスも同様で、先代の最高神であった父であるクロノスを倒し、自分が最高神に。その後は浮気浮気の繰り返しで、各地に何人もの子供を作ったとか・・・。
   かなりの女好きだったらしく、正にこのゼウスをモデルにしたのが ビックリマンの『スーパーゼウス』であると納得しました。

   ここから奥に見えているのが『アクロポリスの丘』で、様々な神をまつった『サンクチュアリ(聖域)』であり、古代ギリシャの信仰の中心であった所。
   てっぺんには有名な『パルテノン神殿』がある。

   このアクロポリスの丘が『聖闘士星矢』の舞台となり、青銅聖闘士がアテナ(城戸沙織)を救うために黄金聖闘士と争った『十二宮』があった所である。

【2.パルテノン神殿】
   アクロポリスの丘の頂上にあり、アテネの街の守護神である『アテナ神』を祀った神殿。元々BC7世紀頃に神殿が作られていたが、その後のペルシャ戦争で破壊されてしまい、BC432年にアテネの名将であった『ペリクレス』が再建した。
   楽しみにしていた観光地であったが、大規模な修復中であり、クレーンや鉄骨の足組みがあり残念・・・。
   ギリシャ神話にでてくる『アテナ神がアテネ市民に与えたオリーブの木』や『ポセイドン神がアテネ市民に水を与えた井戸』なども残っている。
   ユネスコの世界遺産のマークに使われている神殿である。

【3.古代のアゴラ(集会所跡)】
    古代の政治・文化・生活の中心地で、多くの人が集まった所。
    『ソクラテス・プラトン・アリストテレス』らの哲学者、『ヘロドトス』などの歴史家達が雄弁をふるったところである。『ヘロドトス』などの歴史家達が雄弁をふるったところである。
 

流学日記 in ギリシャ:3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 3日(金)17時56分51秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:同じくロードス島。
                 次はアテネに戻ります。

【ひと言】:ペロポネソス半島は古代ギリシャが好きな人にはたまらない程見所だらけです!

★ミケーネ&ナフプリオン(11/18~11/19)★

風光明媚なリゾートの街、ナフプリオンに宿泊し、ミケーネの遺跡を見に行きました。

古代ミケーネ国家はヨーロッパで二番目に古いミケーネ文明(BC16世紀頃~)が栄えたところです。(一番古いのは同じギリシャのクレタ島で栄えたクレタ文明で、BC20世紀頃~)

この国家が有名なのはその古さもですが、BC1260年から10年間に渡り現在のトルコの西海岸にあった『トロイ』と戦争を行った『トロイ戦争』の為です。

トロイの王子である『パリス』が美の女神の『アフロデューテ』の助けを借りて、スパルタの王妃である『ヘレネ』を自分の国に奪って帰ります。(パリスの審判。)  それに激怒したスパルタ王の『メネラオス』が兄であるミケーネ王の『アガメムノン』を総大将にしてトロイに攻め込みます。英雄『オデュッセウス』や不死身の『アキレス』などの活躍がありながらも10年かかっても決着がつかず、ミケーネ軍はひとりの生贄と巨大な木馬を残し、撤退。戦争に勝ったと思ったトロイ軍は城門を開け、その木馬を戦利品として城内へ、でもその中にはミケーネ軍の兵士が・・・。

ってな『トロイの木馬』で有名な話です。

ちなみに、この戦いに勝ちトロイ王国を滅ぼした『アガメムノン』は戦利品として逆にトロイの王女である『カッサンドラ』を奪って、ミケーネに凱旋します。しかし帰国したその日、妻と妻の愛人により、二人とも暗殺されてしまう・・・、と言う悲惨な後日談もあります。

古代ギリシャの『ホメロス』が書いた叙事詩、『イリアス』に書かれている話で、永らく神話として語られていたが、1876年にドイツの有名な考古学者、『シュリーマン』によって遺跡が発掘され、実存する話と証明されました。

1.獅子門
    ミケーネの遺跡の入り口にある有名な門。
    ヨーロッパにはライオンはおらんはずやのに何故?って思いながらもここ以外でも色んな所でライオンの遺跡を目にします。

2.ミケーネの遺跡
    遺跡の一番高いところで、王座があった場所。この右奥に大広間があり、アガメムノンとカッサンドラはこの広間で暗殺されたらしい。(風呂場で入浴中に殺されたとの説もあり。)

3.ナフプリオンの街
    のんびりした雰囲気の街。
 

流学日記 in ギリシャ:2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年12月 3日(金)16時32分51秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ロードス島。
                 次はアテネに戻ります。

【ひと言】:最悪な事が続きました.....でも元気です。

★スパルタ&ミストラ(11/16~11/17)★

オリンピアと同じペロポネソス半島にあるスパルタに行きました。
ここは古代ギリシャでアテネと覇を競ったポリス(都市国家)だった所です。
赤ん坊の頃より徹底した教育し、心身を鍛えさせ、強大な軍隊・軍事国家を作り上げました。その教育の厳しさが今日でも使われている『スパルタ教育』の言葉の元となっています。

その教育の内容は.......、

1.赤子の産湯はワイン(アルコールで痙攣を起こすものは虚弱体質とされ、近所の山に捨てられた。)
2.学校での義務教育は軍事訓練(7歳から入学。)
3.10日に1度の身体測定(肥満や色白は怠惰として処罰。)
4.散歩禁止(散歩ではなく鍛錬で体を鍛えるべし。)
5.戦死者の遺体検査(向う傷が多ければ英雄として葬り、後傷が多ければ弱者として放置された。)

などなどで、これ以外にも様々な厳しい取り決めがあったらしいです。
スパルタに生まれんで良かった...、って本気で思いました。(『産湯はワイン』くらいなら何とかクリアできそうやけど。)

そんな強国も相次ぐ戦争で力が衰えていき、395年の西ゴート国の攻撃により崩壊したとの事です。


また、スパルタから6キロ離れた山の上に作られた中世の宗教都市(の廃虚)、ミストラにも日帰りで行ってきました。
雨模様の天気で足元も悪くて大変でしたが、霧とモヤが渦巻く宗教都市の廃虚は何とも言えない神秘さがありました~


1.レオニダス王の銅像
    アケメネス朝の『ペルシャ帝国』とスパルタやアテネなどを中心とした『ギリシャ連合軍』が戦った『ペルシャ戦争』の極地戦である『テルモピュライの戦い』(BC480)で有名になったスパルタの英雄。
    仲間の裏切りにあい自軍は壊滅、味方の兵を逃す時間をかせぐために300人でペルシャ軍に戦いを挑み、全滅した。

2.スパルタ遺跡
    スパルタの遺跡は徹底的に破壊されており、どこになにがあったかは全く分かっていない。そこら中に石がごろごろしているだけであった。

3.ミストラ
    1249年に作られ、ビザンチン帝国の支配を受けていた宗教都市。山間部に教会・修道院・礼拝堂などが数多く作られ、多くの聖職者や修行者で栄えた。(日本で言う比叡山や高野山みたいなものでしょうか?)
    後々には城や宮殿も作られ、皇帝も滞在した。
    ビザンチン帝国の最後の皇帝である『コンスタンティウス11世』はここで即位し、帝国建て直しのためにコンスタンチノーブル(イスタンブール)に向かった。(結果はオスマン・トルコにより帝都陥落・帝国崩壊。1453年)
    1825年、ギリシャ独立戦争時にオスマン帝国の支配下にあったアルバニア軍の猛攻に会い、廃虚に。
 

流学日記 in ギリシャ:1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年11月20日(土)03時29分4秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ナフプリオン。
                        次はアテネ。

★オリンピア(11/14~11/15)★

  イタリアのブリンディッシより夜行フェリーでアドリア海を渡り、ギリシャのペロポネソス半島にある港街、パトラへ。
   街を見学後、そのままオリンピアへ向かいました。

   オリンピアは古代ギリシャ~ローマ帝国時代(BC776~AD393)の間に4年に1度、ギリシャやローマからアスリートが集まり、競技会が行われていたところです。
   その競技会は、『オリンピアでの競技会』という意味から『オリンピック』と呼ばれ、この古代オリンピックが現在の近代オリンピックの元となっています。

    もともとこのオリンピックはギリシャの最高神である『ゼウス神』に捧げるための大会であり、遺跡にはスタジアムのほかにゼウス神殿やヘラ神殿(ゼウスの正妻)などもあり、見応え十分です。

   ローマ帝国2代目皇帝の『ティベリウス』も金メダルに輝いたことがあるなど、ギリシャだけでなくローマとも深いつながりのあった大会でしたが、394年にキリスト教を国教化していたローマ帝国により、『異教の神殿破壊令』が出され、神殿は破壊され、大会も終了となった。

    ちなみに『オリンピック開催前後3ヵ月は平和を維持する事』と決められており、例え戦争中でも一旦中断して大会に臨んでいたとの事。でもその期間が終了したらすぐに戦争が再開されていたらしい......。

1.スタジアム(競技場)跡
    陸上競技のほかにも格闘技、レスリング、円盤投げ、槍投げ、競馬や戦車競争などが行われていた。
    幅30m、長さ192mで、約20000人収容できたらしい。
    2004年のアテネオリンピックではここで砲丸投げと円盤投げが行われた。
    ちなみに深夜特急のTV番で大沢たかおが走っていたのもここ。

2.1936年のベルリンオリンピックより聖火の最初の点火がここで行われ、その後、聖火リレーによって大会会場まで運ばれるようになった。
   後ろにあるのはギリシャ最古の神殿であるヘラ神殿。

3.大会参加者全員で一緒に選手宣誓を行っていた場所。
 

流学日記 in イタリア:9

 投稿者:しゅ-た  投稿日:2010年11月18日(木)20時31分13秒
返信・引用
  【現在地】:引き続きスパルタでバスの時間待ち。

【ひと言】:ちなみにギリシャのペロポネソス半島は交通事情も最悪です.....。

★ターラント&アルベロベッロ&ブリンディッシ(11/9~11/13)★

イタリアの長靴のかかとのあたりに行きました〜
ターラントに泊まりながらアルベロベッロに日帰りで行き、最後はブリンディッシからフェリーでギリシャのパトラへ行きました。

1&2.アルベロベッロのトゥルッリと呼ばれる建物。
石灰岩で作られたもので、昔から住居として使われていたものであり、今現在でも多くの人が住んでいる。
小さな街ではあるが、1500件くらいが連なるようにして残っており、住居のほかにもホテルやレストラン、カフェやお土産物屋などにも利用されている。
お伽噺に出てくる様な町並みの可愛さがうけて、近年日本でも人気が上昇している観光地。

3.ターラントの街。いかにもヨーロッパのリゾート地の街並みといった感じの綺麗な所でした。
 

流学日記 in イタリア:8

 投稿者:しゅ-た  投稿日:2010年11月18日(木)20時15分27秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:スパルタでバスの時間待ち。

【ひと言】:イタリア南部もギリシャもネット事情は最悪です.....。

★パレルモ(10/29~10/31)★
★アグリジェント(11/1~11/2)★
★カターニャ(11/3)★
★シラクーザ(11/4~11/7)★
★メッシーナ(11/8)★

ゴッドファーザーで有名なマフィアの島、シチリア島へ行きました。
おみやげ屋にはゴッドファーザーのポストカードやグッズなどが売っていましたが、当然そのあたりにマフィアがいるはずもなく、怖そうなおじさん達には全く会いませんでしたーーーー

シチリア島は元々古代ギリシャが植民地として街を作った所で、その後、ギリシャーカルタゴーローマ帝国と支配者が変わって行きました。
ギリシャ時代の遺跡(神殿や劇場など)が多く残っている島ですーー


1.アグリジェントにあるギリシャ時代に作られた神殿

2.森本が頑張っているカターニャの中心部にある大聖堂

3.本土とシチリア島の間には橋はなく、列車を切り離してフェリーにのせ、輸送する変わった方法が取られています。
 

流学日記 in イタリア:7

 投稿者:しゅ-た  投稿日:2010年11月18日(木)19時53分6秒
返信・引用 編集済
  現在地】:ギリシャのスパルタ。
                 次はミケーネ。

【ひと言】:お久しぶりです・・・。

★アマルフィ(10/25~10/28)★

最近映画で有名になった海岸へいってきました

1.アマルフィ海岸

2.派手なお土産が一杯ありました。

3.久しぶりにバルコニー付きのホテルでゆっくりできました〜
 

流学日記 in イタリア:6

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月24日(日)22時28分49秒
返信・引用 編集済
    ナポリより日帰りでカプリ島とポンペイ遺跡に行って来ました。

  カプリ島は歴代のローマ皇帝がその美しさを気に入り、別荘を建てたり中には住みついたりした人もいる所です。
  その島の中でも『青の洞窟』と呼ばれている、ボートでしか行くことが出来ない洞窟が本当に綺麗で幻想的・・・(らしいです。)
  ただここは波の高い日には危険な為、ボートが出せないので行くことができません。
  夏場は比較的海が穏かで大丈夫ですが、それ以外の季節はダメなことが多いらしいです。
  当日は天気も良かったのですが・・・、残念ながら洞窟にはたどりつけませんでした。
  それでもカプリ島の街並を散策したり皇帝の別荘跡を見学したり、高台から景色を眺めたりで楽しかったです〜

  別の日にはポンペイ遺跡に行って来ました。
  ここは人口15000人のふつ〜の街だった所です。
  それなのにこの遺跡が有名なのは、79年8月24日に噴火したヴェスヴィオ火山の溶岩により、一瞬の内に街全体と全ての人が埋もれてしまったからです。
  長く溶岩の下に埋もれていたため、保存状態も良く、人々の生活の跡がそのまま残っているのが見所です。(当時の人の事を考えるとホンマに可哀想なんやけど・・・)
  神殿や貴族の屋敷・闘技場などの他にも、一般人の家や居酒屋・宿屋・パン屋・公衆浴場・果ては売春宿まで残っているから驚きです。
  それ以外にも、当時の人々の焼死体がミイラとなって出てきたり、家の門前に猛犬に注意の文字が書かれていたり、選挙への投票の呼び掛けが落書きされていたりと、他の遺跡では見ることができなかった物が多数あり、非常に興味深かったです〜

1.カプリ島の景色

2.ポンペイ遺跡の公衆広場。後ろに見えるのが噴火したヴェスヴィオ火山(1281m)。
  死火山ではないため、再度大爆発が起る可能性もあるらしい。
  ナポリ市内からも見えていた。

3.パン屋跡。小麦粉を引く石臼や釜がそのまま残っていた。
 

流学日記 in イタリア:5

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月24日(日)17時58分25秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ナポリ。
            次はアマルフィ。

【ひと言】:ナポリの街の作りは鹿児島市にそっくりです〜。山(城山)・市街地・港(錦江湾) ・火山(桜島)・などなど。鹿児島市は綺麗やけど。

★ナポリ(10/20~10/24)★

『ナポリを見て死ね』と有名な言葉があります。ナポリの街は風光明媚で、人は陽気で明るく、このような素晴しい街を知らずに死ぬのは勿体ない。
  という事から言われているらしいです。

  実際行ってみての感想は・・・、
    ●遠くの景色は綺麗。
      料理は抜群においしい。
    ●街はそこまで見所は無く、ごちゃごちゃしている上にゴミだらけで汚なく臭い。
      現地人は普通。(大量のアフリカ系の人が偽ブランドやがらくたを路上販売しているからあんまり雰囲気は良くない。)

  って感じで、別に見ずに死んでも良いのでは・・・?  と思いました。

  ちなみにナポリでは数年前からゴミ業者が頻繁にストライキをするため、街中にゴミが溢れています。今回も9月からストライキをしているらしく、汚なくて臭い・・・。
  でも中東はもっとゴミだらけで汚なかった〜。

1.サンタルチア港
  ナポリの民謡であり、カンツォーネでよく歌われる『サンタ〜ルチ〜ア』で有名な港。ナポリの街中で唯一綺麗な場所。
  奥に見えるのは79年8月24日に大噴火を起こし、ポンペイの街を溶岩で埋め尽くし、15000人の命を奪ったヴェスヴィオ山。

2.マルゲリータ
  ピザはナポリが発祥地です。その中でも女王マルゲリータの名がついているこのピザはナポリだけでなくイタリア全土で一番人気です。
  がっつきました〜

3.ムール貝入り魚介のパスタ
  今回の旅行で食べた料理のなかでBEST3に入る味であった。6ユーロで値段も安く、ホンマに美味かった!
 

流学日記 in イタリア:4

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月19日(火)15時54分52秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ローマ。
            次はナポリ。

【ひと言】:播州名物の秋祭り、今年も盛り上がりましたか?

★ローマ(10/10~10/19)★

  引き続きローマに滞在中。
  1つの街の見所の多さでは世界最大ではないかと思うくらい観光するところがあり、10日間があっという間に過ぎました~

1.コロッセオ
  80年に完成した約5万人を収容する巨大な円形闘技場。剣闘士と猛獣、剣闘士同士などの凄惨な戦いを見て、一般市民は興奮していたらしい。

2.フォロロマーノ
  ローマ時代の政治の中心地であった遺跡。
  共和制時代の政治の最高機関であった元老院、火の神や農業神を祀った神殿、凱旋門、教会などがある。
  カエサルが暗殺された後遺体が運ばれて火葬された場所や初代皇帝のアウグストスの宮殿なども残っている。
  (カエサルが暗殺された場所は実際はここから1キロほど離れたポンペイウス劇場であり、元老院で殺されたというのはシェークスピアの作り話らしい。)

3.サンピエトロ大聖堂
  ローマの中にある世界最小国家:バチカン市国にあるカトリックの総本山。キリストの弟子の一人であるペテロ(ピエトロ)の殉教地に建てられた大聖堂。
  聖堂内にはローマ法王の書斎やミケランジェロのピエタ像があり、外の広場にはベルニーニがデザインした284本の円柱と140人の聖人像が並んでいた。
  エジプトから奪ってきたオベリスクもで~んとあった。
  大聖堂の横にはミケランジェロの天地創造や最後の審判、ラファエロのアテネの学童などがあるバチカン美術館が併設されている。
  亡くなった中川元財務大臣が柵を越え、素手で触って怒られたラオコーン像(大蛇に襲われるギリシャ神話の人物)もあった。


これら以外にもベンハーの映画で有名な戦車戦が行われていた『チルコマッシモ』、ローマを火の海にして暴君と呼ばれた『皇帝ネロの黄金宮殿』、初代皇帝の『アウグストスの墓』、キリストが十字架にかけられる前に登った28段の『聖なる階段』(エルサレムから運んできた)、ローマと各地を結んでいた軍用道路の一つ『アッピア街道』、聖天使の伝説が残る『サンタンジェロ城』、当時の世界最大の浴場と呼ばれていた『カラカラ浴場』、ローマの休日で有名な『真実の口』『コロンナ宮殿』『マルグッタ通り』など見所だらけです~
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年10月17日(日)01時01分35秒
返信・引用
  半そで半パンからちょっとあったかめのカッコになったな。
てか、にゅうちゃんおかんにそっくりやんw
 

流学日記 in イタリア:3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月14日(木)19時00分7秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ローマ。
            次は未定。

【ひと言】:皆様に貰った靴、デビューしました。履き心地最高っす。さんきゅ!

★ローマ(10/10~)★

 空路、カイロよりローマへ。約2ヶ月ぶりにヨーロッパに戻りました。
 10月5日、関空発の便で優と母がイタリアへ。ベネチア・フィレンツェを観光しながら南下してき、10月11日にローマで無事合流しました。
 14日の早朝までは3人で、それ以後は再び2人旅です。

 ローマは別名、『永遠の都』と言われている街です。BC753年の建国以来、ローマ王国・共和国・帝国の首都として栄えました。
 この時代の文化・政治システムが後世に多大な影響をもたらした事や、ヨーロッパ中に遺跡が残っている事などにより、現在のヨーロッパの礎になった国家とも言われています。
 『すべての道はローマにローマに通ず』や『ローマは一日にして成らず』など言われているように、その繁栄の凄さを感じることが出来ます。

 イタリア最大の都市、人口270万人の都市ですが、1100万人のカイロから来ると非常に静かに感じ、の~んびり観光が楽しめます!
 とりあえずはべたな観光地を回って楽しんでます~

1.スペイン広場・階段
  スペイン大使館の近くにあるためこの名前がついた。ローマの休日でおなじみの場所。現在はジェラートを食べるのは禁止になっている。

2.夕食
  久~~しぶりに小洒落たレストランに行きました!(約3ヶ月ぶり・・・。)
  ピザ・パスタ・グリルフィッシュ・グリルビーフ・ムール貝・リゾット・スープ・ワイン・などなど、イタリア料理は本当に美味しいです!

3.トレヴィの泉
  こちらも有名な観光地。後ろ向きにコインを投げると再びここに帰ってこれるとの言い伝えがある。人だらけであったが、コインを投げている人は少数だったような・・・。
 

流学日記 in エジプト 5

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月 9日(土)17時54分37秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ルクソール。
            次はローマへ。

【ひと言】:いんちきアラブ人との戦いが終わると思うと少し寂しいところもあります。

★カイロ(10/04~10/09)★

 再びカイロに戻り、見残したところを回りました~。

【オペラ】
 ギザのピラミッドの敷地内、3つのピラミッドとスフィンクスの目の前でオペラの野外ライブがあると言うことで見に行ってきました。
 値段は何と35エジプトポンド(約500円)。破格の値段で見ることが出来ました。
 題目は「アイーダ」。全てイタリア語で行われるため、いきなり行っても訳が分からんと思い、ウィキペディアで予習してから行くことに。
 アイーダは古代の話で、エジプトとエチオピア、2つの国に引裂かれた男女の悲恋を描き・・・。つまり簡単に言うと「悲しい話」でした。
 オペラは4幕に分かれて4時間あり、行く前はかなり退屈するのでは?と思っていましたが、歌い手の声量・100人を越える出演者のきらびやかな衣装・オーケストラの生演奏・ライトアップされたピラミッドとスフィンクスの美しさなどなど、めっちゃ楽しむことが出来ました~
 残念ながら光量不足でいい写真はとれませんでした・・・。

【スーフィーダンス】
 エジプト伝統のイスラムのダンス。こちらは約1時間で無料。
 皆拍手喝采やったけどこれはイマイチよく分からんかった・・・。
 おじさん達が民族衣装を着て踊り狂ってました。

【カイロ動物園】
 アフリカの猛獣が勢ぞろい?と思って行ってみましたが大したことなかった・・・。姫路動物園よりはでかいけど・・・、王子動物園のほうが見応えあると思います。

【アレクサンドリア】
 カイロから北に200km、地中海に面した所にあります。
 ここは古代エジプト最後の王朝、『プトレマイオス朝』の王都であった街です。
 古代エジプトは、
  ●先史時代(BC30000年頃:スーダン方面より人が移住)
    ↓
  ●第一王朝期(BC3000頃:メネム王によるエジプト統一)
    ↓
  ●古王国時代(BC2986~BC2181年:首都はメンフィス:クフ王など)
    ↓
  (第一中間期:戦国時代)
    ↓
  ●中王国時代(BC2040~BC1663:首都はルクソール)
    ↓
  (第二中間期:またもや戦国時代)
    ↓
  ●新王国時代(BC1570~BC1070:首都はルクソール:ラムセス2世やツタンカーメンなど)
    ↓
  (第三中間期:またまた戦国時代)
    ↓
  ●王朝末期王朝(BC525~BC332)
    ↓
  ●プトレマイオス朝(BC332~BC30)
    ↓
  ●ローマ帝国による支配  の順です。

 プトレマイオス朝はアレクサンドロス大王がエジプトを支配したとき、彼の部下の一人であるプトレマイオスが王様になって開いた王朝で、この王朝の最後の女王がクレオパトラです。
 ※クレオパトラのイメージは、『黒髪のおかっぱ頭で目がまん丸』ですが、アレクサンドロス・プトレマイオスがギリシャ人だったことより、『金髪の美女』であったのでは?とも言われています。
 街自体にはこの時代の物は何も残ってなく、見所は特にありませんが、「クレオパトラが住んでいた街を見に行こう。」と思い、日帰りで行ってきました~。
 ※ここには世界の七不思議の1つである『アレクサンドリアの大灯台』があったと言われていますが、どこに建っていた分かっていないらしいです・・・。

 後はエジプトの最後を満喫しながらのんびりしてます~

1.スーフィーダンス

2.シーシャ
 水タバコのことで、イスラム圏ではかなりメジャー。一度試そうと思いながら機会を逃してきたけど、カイロで挑戦することが出来ました。
 甘~い味で、いまいち美味しいとは思いませんでした・・・。

3.アレクサンドリアの海岸線
 

流学日記 in エジプト 4

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月 5日(火)05時44分43秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ルクソール。
            次は一旦カイロに戻り、アレキサンドリアなど。

【ひと言】:ナイル川は広大で茶色く濁っているイメージでしたが、意外と川幅は狭く、水は綺麗でした。

★ルクソール(10/02~10/03)★

 ここは古代エジプトの中王国・新王国時代の首都だった所です。(当時の呼び名はテーベ)
 この時代は古王国時代のようなピラミッドはほとんど建設されず、神殿などが多く作られた時代です。(アブシンベル神殿やイシス神殿もこの時代)

 この街もカイロやアスワン同様、中央にで~んとナイル川が流れています。
 その川の東岸は政治の中心地で、立派な『カルナック神殿』や『ルクソール神殿』が残っています。
 一方の西岸は、『死者の都』と呼ばれており、歴代のファラオの墓がある『王家の谷』や王妃の墓がある『王妃の谷』、貴族が眠る『貴族の墓』や労働者のための『労働者の墓』などが集まっています。

 とりあえず1日目は現在の中心地でもあり、神殿以外にも博物館やスークや駅がある東岸を観光することに。
 ここも日中45℃の世界で、10km近く歩き回ってると倒れそうになりました・・・。
 2日目は自転車で西岸に行く予定にしていたがあまりの暑さの為ツアーバスに変更。
 楽々エアコンバスに乗って一気に観光してきました~

1.ルクソール神殿
 3km北にあるカルナック神殿とスフィンクスが両脇に並ぶ参道で結ばれている双子の神殿。
 かつてはこの神殿の入り口に2本の塔(オベリスク)が建っていたが、現在は1本だけ残るのみ。もう1本はフランスが持ち帰ってしまったらしく、現在はパリのコンコルド広場に建っている。
 これらの神殿に住む神官とファラオの間で常に権力争いが発生していたらしい。
 日本の貴族や武士と僧侶が争っていたり、ヨーロッパで皇帝とローマ法王が争ったのと全く同じ構図らしく、どの国でも同じようなことがあるとの事。

2.王家の谷
 60を越えるファラオの墓が発見されている。その内、どのファラオの墓か分かっているのは20程度。
 ツタンカーメンの墓を除くすべての墓が盗掘されており、石棺・ミイラ・宝物などは残っていなかったとの事。
 ツタンカーメンのみ、若くして死んだため権力も弱く、墓も小さかったため、盗賊に見つからずに現在まで残っていた。
 残念ながらどの墓も撮影不可でした。

3.ハトシェプスト女王葬祭殿
 エジプト初の女王、ハトシェプストが作った葬祭殿。
 別名、北の修道院とも呼ばれている。
 1997年11月、この前で銃を乱射するテロ(ルクソール事件)が発生し、日本人観光客10名を含む63名が犠牲となった。
 日本人の中には新婚旅行者もいたらしい・・・。
 

流学日記 in エジプト 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年10月 3日(日)01時00分35秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:アスワン。
            次はルクソール。

【ひと言】:エジプト南部(上エジプト)に入り最高気温45℃の世界に逆戻り・・・。

★アスワン(9/30~10/01)★

 エジプトはめっちゃええ所(歴史や遺産)とめっちゃ悪い所(人間や社会システム)が激しく入り乱れている所っす。
 来る時は夏場を外して、いいホテルで、電車とかのチケットを日本で予約してからの方がええかも・・・。
 せやけど遺跡は本当に素晴らしく、他の中東の遺跡(0世紀頃)よりもかなり古くに作られているのに、規模・技術力・芸術性などの点において他を圧倒しています。
 ※そういえば楽園のダハブにも欠点が、水道水が全て海水です。顔を洗うのも海水・歯を磨くのも海水・シャワーを浴びても海水。これはさすがに気持ち悪かったわぁ~

 カイロより夜行列車で14時間かけてアスワンへ。外国人はチケットを買うのが大変で、2時間駅で奮闘して、通りがかりのエジプト人に頼んで何とかGET出来ました。
 (現地人より料金が高い上に乗車不可の列車が多い。)
 1等:1650円(エアコン付)、2等:1000円(エアコン無し)。
 多くの旅人より、「この路線は1等にした方がいい。」と聞いていたため、迷わず1等を選ぶことに。
 列車自体は古かったけど、シートはレールスター並みに広く、めっちゃ快適に移動が出来ました。

 アスワンは市内にはとくに見所はありませんが、郊外にある『イシス神殿』と『アスワンハイダム』、南に280㎞にある『アブシンベル神殿』を見るために来ました。
 これらの見所を12時間で回るツアーバスが出ていたので、これで一気に観光することに。
 ツアーバスは朝の03:30発。何でこんなに早いねん・・・。あ~ねむた。

 市内は土産物屋ばかりで、人はうざく、食事の種類は少なく、ビールやフレッシュジュースも売ってなく・・・、あまりいい所では無かった為、2日で脱出する事に。

1.アブシンベル神殿
 古代エジプトの新王国時代にラムセス2世によって大神殿・小神殿の2つが建てられた。
 大神殿は太陽神:ラー(エジプトの最高神)に自らが近い存在であることを誇示するために作ったとのこと。
 至る所に自身の像やラーと対話をするシーン・ヒッタイト王国との戦闘シーンなどが描かれていた。
 小神殿は王妃:ネフェルタのために建造。
 この2つの神殿はかなりの見ごたえがあり、眠気も一気に吹っ飛びました~。
 アスワンハイダムの建設によりダムの下に沈んでしまう所だったが、1964年にユネスコの主導で60m上のところに移動し、水没を免れた。
 すぐ向こうはスーダンである。

2.イシス神殿
 女神:イシス(死者の保護の神)を祀るために作られた。
 ここもアブシンベル神殿同様、水没するところをユネスコによって救われた。
 ここには星ふる腕輪が・・・、とか思いながら見学しました。

3.アスワンハイダム
 ナイル川の氾濫・洪水を防ぐのと人口増加による電力確保のために1970年、ドイツとソ連の協力により作られた。
 ナイル川を堰き止め、琵琶湖の7.5倍の人口湖(ナセル湖)を作ると言う、壮大なプロジェクトであった。
 電力供給は上がったものの、環境破壊により異常気象が発生したり、塩害の発生により農業生産が逆に落ちたりとしっぺ返しを食らっているとの事。
 自然は恐ろしい。

 神殿の移動といい、アスワンハイダムの建設といい、全てを他力に頼らざるを得ない所に今日のエジプトの国力・技術力・底力の無さが思い知れる。
 やはり人を見れば分かると言うか、やつら(エジプト人)には一生かかっても出来そうにないと思う今日この頃です。(遥か昔には自身の先祖が作ったはずやのに・・・。)
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年10月 2日(土)00時39分42秒
返信・引用
  うわ~
エジプトええなぁ。今いちばん行ってみたい外国やわ。
 

流学日記 in エジプト 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月29日(水)23時39分29秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:カイロ。
            次はアスワン。

【ひと言】:「世界で一番うざい国は?」の質問に、多くの旅人は「エジプト(もしくはインド)」と答えるらしい・・・。

 ★カイロ(9/24~9/29)★

 ダハブからバスでカイロへ。途中、モーゼが十戒を授かった『シナイ山』を見たり、紅海と地中海を結んだ『スエズ運河』(の下のトンネル)を通ったりと、車窓が楽しかったです。

 カイロ、ここはBC3000頃から統一国家を持っていたエジプトの中では比較的最近出来た街です。
 (1169年に首都になった。)
 最もエジプト人に言わせると、『クレオパトラの時代(BC30年頃)も結構最近。』との事。

 とは言え、やはり見所も多く、充実した観光になってます~

【ギザの3大ピラミッド】
 カイロから13キロ離れた砂漠地帯に『クフ王・カフラー王・メンカウラー王』の3つのピラミッドが並んでいる。
 作られたのは古王国時代(BC2650~BC2180)で、クフ王のピラミッドは世界最大である。
 「王(ファラオ)の墓」と言う人もいれば、「宗教施設」とか「公共事業の推進の為に作っただけ」との意見もあるが、王の墓説が有力との事。
 入り口にはスフィンクスがあり、これも「ピラミッドを守る番犬」・「神の化身」などなど様々な意見があるとの事。
 折角入るならば一番でかいのに!と思い、クフ王のピラミッドに入ってきました。
 中は狭く・急なつくりになっており、王の棺があったと推測される場所にも行くことが出来ました。
 残念ながら黄金のつめは発見できず・・・。

【エジプト考古学博物館】
 ツタンカーメン王の黄金のマスクや玉座、歴代王(ラムセス2世など)のミイラ11体など様々な物がが展示されている。余りの展示数の多さと展示の仕方の下手さで、博物館と言うよりは巨大な倉庫みたいな感じでした・・・。

【オールドカイロ】
 カイロ発祥の地で、現在でもイスラム教徒ではなくコプト教徒が数多く住んでいる地区。
 (コプト教はキリスト教の異端派)
 カトリックやプロテスタント・正教会などとはまったく違った教会が多くありました。

【イスラム地区】
 巨大なスーク:ハン・ハリーリがあり、現在のカイロで一番賑わっている地区。城・城壁・モスクなども数多くあり、混沌としたカイロを体験するには一番の場所。
 ちなみにディオの館はこの辺りにあったとの事。

【エジプト料理】
 エジプト人のソウルフード:『コシャリ』(米とパスタをゆでた上にトマトソースをかけ、酢やチリソースで味付けをする)やハト料理、変わった味のスープなど、なかなかバリエーションも多く、美味しいです~
 フレッシュジュースも1杯40円程度で安く、毎日ビタミン補給をしています。

【エジプト人】
 どれだけうざいのかと思っていたけど、意外に一般の人は普通でした。引き換え、観光客相手の人(土産屋・タクシードライバー・ラクダ引きのおじさん)などは本当にうざい・・・。
 ハン・ハリーリでは5秒毎に声をかけられ、10秒毎に腕を引っ張られ、タクシードライバーには気色悪い投げキスをされ、ラクダに乗るのをを断ると風上から砂誇りを撒き散らされ・・・。

まぁ、そんなのと格闘している毎日です。


1.手前よりメンカウラー王(65.5m)・カフラー王(143m)・クフ王(146m)。一番前の小さいの2つは女王のピラミッドとの事。

2.有名な話ではあるが、スフィンクスの目線の先には・・・、ピザハットとケンタッキーのスフィンクス店があった。

3.お土産屋もエジプトらしく見ているだけで楽しい。けどウザイ。
 

流学日記 in エジプト 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月23日(木)23時17分38秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:引き続きエジプトのダハブ。
            次はカイロ。

【ひと言】:ドブロブニクに続きダハブも地上の楽園Ⅱです!

 ★ダハブ(9/16~9/23)★

 ヨルダンより紅海を横断し、シナイ半島の東側に位置するダハブに来ました。
 この辺り一帯は中東有数のリゾート地で、多くの観光客で溢れています。
 その中でもここダハブは、『リゾート地なのに物価が安い』事で、長期旅行者の楽園のようになっている所です。
 (近くにある他のリゾート地は高いのに何故かここだけ激安。)
 海が綺麗でご飯が美味しく物価が安い。本当に楽園です・・・。

 ここはまた、魚の種類の豊富さで世界中のダイバー達の集うところにもなっています。
 宿にチェックインするなり日本人インストラクターに「当然ダイビングするよね?ここに来てダイビングをしない手はないよ。」と言われたけど・・・、そんな根性(みっちり5日間の講習)も無ければお金(400ドル)も無く、その上『泳ぐのが苦手』のあかんたれのため、即刻断り、初心者でも簡単に出来るシュノーケリングをすることに。
 こちらも初体験のため、最初はドキドキしながらでしたが、本当に簡単であり、海の中がめちゃめちゃ綺麗ことに感動し、結局5日間連続でしてしまいました~。

 また、同じ部屋に日本人の学生2人がおり、両方ともサッカー部所属のサッカー好きだったため、毎夜毎夜テーマを決めてビールを飲みながら日本と世界のサッカーについて語り合いました。
 1日目:Wカップの反省、2日目:世界サッカーの今後、3日目:Jリーグの現状と課題、4日目:2014年ブラジルWカップの日本代表のスターティングメンバー予想・・・、などなど。
 あっと言う間の8日間でした~

【物価例】
 ホテル(ドミトリー):150円
 〃  (ツインルーム):300円(一人分)
 食事(エジプト料理セット):300円
 〃 (中華料理):150円~
 〃 (タイ料理):500円~
 缶ビール(500ML):105円~
 シュノーケリングセット(1日レンタル):何と75円


1.紅海
 世界でも有数の綺麗な海と言われている。ニモに出てくるようなカラフルな魚達もいればナポレオンフィッシュのような大きな魚もいました。珊瑚も本当に綺麗で、『青い珊瑚礁』をはじめ、赤・緑・黄色など色とりどりで、何回見ても飽きることはありませんでした~
 また、対岸には未知なる国:サウジアラビア(入国がほぼ不可能)が見えていました。あの国へ行くにはどうしたらいいのか?みたいな話題で盛り上がりました。

2.ダハブの町並み
 小さな所ですが、村全体がリゾート地の感じで、雰囲気は抜群に良いです~

3.エジプト料理
 この他にパン・スープ・フルーツ・アイスクリームがついて300円の安さ。味も本当に美味しく、これはイカを香辛料でまぶした後グリルをしたもの。
 

流学日記 in ヨルダン 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月19日(日)03時25分43秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:エジプトのダハブ。
            次はカイロ。

【ひと言】:黒海に続き紅海も真っ青です!

 ★ぺトラ(9/13~9/15)★

 中東最大の遺跡、ペトラ遺跡に来ました。
 ここはナバタイ人と言う人たちが作った街で、このあたりの遺跡同様、シルクロードの隊商都市として繁栄したところです。
 その規模は他の遺跡を圧倒する広さ・大きさで、元々有名な遺跡ではありましたが、更に有名になったのは『インディー・ジョーンズ:最後の聖戦』のロケ地になったからです。
 宿では毎日21:00から映画の上映会をしており、僕たちも前日に見て気持ちを高めてから行ってきました。
 アンマンでゆっくりしたり、全く雰囲気の違うイスラエルに行ったりしていたので遺跡病も治り、新鮮な気持ちで見れました。
 08:15に宿を出てからひたすら歩き続けて帰ってきたのが17:00・・・。
 観光と言うよりトレッキングみたいな感じで、『見た!』と言う感動・充実感と共に、『見終わった!』と言う安堵感がありました。
 しかし入場料は高かった・・・。(33ヨルダンディナール:約4,000円)
 (今年の2月までは21JD:約2,500円。再来月の11月からは更に上がり50JD:約6,000円、やりすぎです。)

1.エル・ハズネ(宝物殿)
 最後の聖戦のクライマックスに使われた所。この中に入って聖杯を取るシーンがあるが、残念ながら中には入れず。

2.ハリソンフォードが馬に乗って遺跡を探索する時に使われた場所。

3.END OF THE WORLD(世界の果て)と呼ばれているペトラ遺跡の一番奥にある展望台。ペトラは入り口と出口が同じで、延々と上り坂の1本道を約6KM歩くとたどり着く。帰りも下りではあるが延々と同じ道を帰りました。
 

流学日記 in イスラエル 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月13日(月)18時39分50秒
返信・引用 編集済
   キリスト教関係の建物も本当に多かったです。

1.「シオニズム」の言葉の元となった「シオンの丘」にある教会で、この部屋で「最後の晩餐」があったとの事。有名なレオナルド・ダ・ビンチの絵とは全く似てへんかった。

2.聖墳墓教会
 キリストが十字架に架けられた所。ここから約1km離れた所で十字架を背負わされ、3回つまずききながらゴルゴダの丘を登り、ここで張り付けにされた。
 毎週金曜日の16:00からキリスト教徒による同じ道を歩くパレードがあり、観光客も参加可能であったため、一緒に歩いてきました。
 この教会の中には他にもキリストが十字架から降ろされた後香油を塗られた所やキリストの墓もあり、献身なクリスチャンは涙をながしながら墓に寄り添っていました。

3.分離壁
 ユダヤ人がパレスチナ自治区に強制的に建てた壁。国内の至る所に自治区があり、それを壁で囲む事でパレスチナ人を自由に行き来できないようにした。
 写真はキリストの生誕地であるベツレヘムにあった壁。
 キリストが生まれた馬小屋は今は教会になっていました。

 エルサレムにはこれ以外にも古代イスラエル王国のダビデ王が作った城やキリストが昇天した「昇天教会」、聖母マリアの墓、アラブ人スークなどもありました。
 

流学日記 in イスラエル 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月13日(月)18時20分57秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:再度アンマンに戻りました。
            次はペトラ。

【ひと言】:カナンへの道は遠くて険しかった・・・。

 ★エルサレム(9/9~9/12)★
 ★アンマン(9/13~9/14)★

 アンマンの日本人宿に泊まった最大の目的はイスラエルのツアーに参加することです。
 ここでは送迎・宿泊・出国などの税金込みで3泊4日で80ドルくらいで安全・快適な旅を提供してくれます。

 9/8:日本人10名でツアーに参加。AM6時にホテル出発、1時間かけて国境まで行くと・・・、イスラエル側の突然の事情により国境閉鎖。
 前日の公式発表では「国境は開ける」との事だったのに・・・。
 分けも分からないまま追い返され、よくよく調べると当日のAM7時に「本日はイスラエルの休日(日本で言う大晦日)のため国境は閉鎖する。」の発表があったとの事。
 泣く泣く全員引き返し、アンマンで1泊。
 しかし翌日(元日)は開くとの事。

 9/9:とは言っても9割無理かも・・・、の思いのまま、日程の都合で離脱した2人をのぞき、8人が先発隊・後発隊に分かれて再チャレンジ。
 でも、この日は何とか無事入国できました!
 アンマン→国境;1時間
 国境越え:7時間
 国境→エルサレム:1時間
 何と7時間も出入国に時間がかかった・・・。意味の無い待ち時間が何時間もあり、意味の無い質問を何回もされ、同じ質問を何回も繰り替えされ・・・、大変でした。


 『最高のエルサレムの街と最低の(人が多い)イスラエルの人』

 街は最高に素晴らしいです。BC2000年からの争いの中心地となっている所ですが、厳しすぎるくらい警備や検査があるため、本当に物騒なところは無く、「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」の3つの聖地だけあって、見所も満載です。

 でも、イスラエルの人は最低最悪です・・・。
 イスラエルの人と書いたのは多数派のユダヤ人だけでなくパレスチナ人やその他のアラブ人を含め、ホンマに人間性を疑いたくなる奴等ばっかりです。

 ●国境
  イスラエル入国の際、入国スタンプはパスポートではなく別紙に押してもらうようにお願いします。これはイスラエルのスタンプがあると他の仲の悪いアラブ諸国に入国できなくなるからです。
 (イラン・イラク・シリア・レバノン・サウジアラビア・イエメン・パキスタン)
  僕たちも当然、別紙にとお願いしました。
  約1時間30分色々な質問をされたり待合室で待たされたりして無事にパスポートが戻ってくると・・・、先発隊4人全員にハンコが押されていました(後発隊4人はノースタンプだったとの事)。それを見て驚いている俺たちをニヤニヤとみる入国管理管。「文句があるなら帰れ」の目線の入国管理管。
  これでお尋ね者となってしまい、パスポートの残りの9年半は上記の国に入国不可能となってしまいました・・・。まぁ、二度とこんとは思うけど。
  俺はこの後は再度ヨルダン→エジプトの予定やったからこの旅では問題はないけど、この後シリア→トルコを予定していた1人は泣く泣く予定変更を余儀なくされました。

 ●大人
  完全にアジア人・黒人蔑視で、目の前に来て差別発言をするなんてのは当たり前で、つばを吐きかけられた人もいればタバコを投げつけられた人もいました。当然ボッタクリや誤魔化しは日常茶飯事。

 ●子供
  大人とかわらんくらい最低で、後ろから蹴ってくる奴やBB弾や銀玉の鉄砲で撃ってきたりもします。

 これらに対して怒ったりしたらすぐに警察を連れて来て、警察も完全に向こうびいき。

 ホンマに腐った奴らばかりでした。(一応フォローで、ええ人もいることはいました。)

1・2.嘆きの壁
 ユダヤ人の聖地。
 古代イスラエル王国のエルサレム神殿があった所。今は神殿は壊されて壁だけが残っている。ユダヤ教徒は日々この壁に向かって祈り、神殿の再建を夢見ているとの事。涙を流しながら祈っていることより「嘆きの壁」と言われるようになった。
 ここの雰囲気は異様で、「本物のユダヤ教徒」を初めて目の当たりにしました。

3.岩のドーム
 イスラム教の第三聖地(メッカとメディナに次ぐ)。
 そのエルサレム宮殿を取り壊して建てたモスク。ムハンマド(マホメット)が天馬に乗り昇天した場所で、イスラム教徒以外は入場禁止であった。
 

流学日記 in ヨルダン 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月10日(金)05時30分34秒
返信・引用 編集済
  【ひと言】:アラビア語は全く分からへんし、暗号にしか見えへん・・・。

★アンマン(9/6~9/8)★

 アンマンは余り見所が無い街(いつもの城&遺跡&モスク&スークくらい)ですが、この街を基点に色んな所に観光に行けるので泊まってます。
 物価も安く、食事が美味しいです!(シリアとレバノンの料理は種類が少ないうえに味がワンパターンやった・・・。)
 ダマスカスで会った学生にアンマンの日本人宿(やたらと日本人ばかりが泊まっている安宿)を紹介してもらいました。今まで日本人宿は他の人と交流するのが面倒くさいから避けてきたのですが、ここは各種ツアーを「質が高く安全かつ安価」で提供してくれる所らしく、それならと思い一度泊まってみることにしました。
 とりあえずは簡単な市内観光をした後、第一の見所でもある死海に行ってきました~。

1.死海
 5人にてツアー催行。お決まりのパターンである『本を読みながら浮かぶ』を皆で順番にしました。死海の水は『辛い』を通り越して『苦くて痛い』って感じやけど、ホンマにプカプカ浮かび、面白い経験ができました~。
 野郎ばかりで『死海の泥パック』とかもやったんやけど、なかなか汚い絵ズラやった・・・。

2.死海
 中東に来てから綺麗な夕日に恵まれています~、野郎皆で感動。

3.日本人宿
 ホンマに日本人が多く、常時15~20人くらいが泊まっとお。この日は皆で『おにぎりを作ろう』って事になったんやけど・・・。とりあえず浮かんように頑張ってみました。
 あ~疲れた・・・。
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年 9月 6日(月)00時46分37秒
返信・引用
  元気しとるか~
現地の言葉わかるん?
ぼちぼち半年くらいになるけど、所持金は大丈夫か~?
(援助はないけどね(笑))
 

流学日記 in レバノン 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 9月 5日(日)21時48分34秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:再度ダマスカスに戻りました。
            次はヨルダンのアンマン。

【ひと言】:遺跡が全部同じに見えてきた・・・。

★バールベック(8/31~9/1)★
★ベイルート (9/2~9/3)★
★ダマスカス (9/4~9/5)★

 レバノンに行ってきました。
 元々行く気はなかったけど、シリアで会った人たちが、「レバノンは物価が高いけど良かった~。」、「バールベックの遺跡とベイルートの町並みがきれかった~。」って聞かされたから寄ってみることに。

 バールベックは遺跡しかない町で、確かにでかくて立派な遺跡やったけど表題の通りです。(遺跡病って言うらしい。)
 でも宿も安くて良く、近くに酒屋もあったからのんびり2日間過ごしました。

 ベイルートは地中海沿いの綺麗な街でした。
 『中東のパリ』と呼ばれているらしく、70年代のレバノン内戦・80年代のイスラエルとの戦争で街が焼けてしまい、90年代に復興したので新しいとの事。でも2006年のヒズボラに対するイスラエルの空爆でまた焼けたらしい・・・。
 今では治安も回復し、旅行者も増えつつあるらしいです~。
 でも物価は確かに高く、特に宿が最悪で、この旅ワースト1の汚さ・・・。

1.バールベック
 遺跡に沈む太陽がホンマに綺麗。

2.ベイルートの旧市街
 奇麗でこ洒落てはいるけど、人は少なく、閑散としていた。ヴィトンやカルティエなどのブランド店やHMとかもあった。

3.ベイルートの夜景
 地中海の水平線に沈む太陽もホンマに綺麗。
 

流学日記 in シリア 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月30日(月)22時17分25秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ダマスカスにいます。
            次はヨルダンのアンマンかレバノンのベイルート。

【ひと言】:ダマスカスビールOK!久しぶりでホンマに美味い!

★ ダマスカス(8/28~8/30) ★

 シリアの首都、ダマスカスにいます。ここはBC3000頃に人が住みつきだし、BC2000くらいから都市としての歴史のある街です。
 その中でも661年に成立した初代イスラム帝国の「ウマイヤ朝」の都になったことで大発展したらしいです。
 200万人の人口がいるわりには旧市街は結構落ち着いた雰囲気がある、過ごしやすい街です~

1.旧市街の風景

2.スーク
 アレッポやモロッコとは違い、小奇麗な店が多い。ちょっと刺激はすくないけど・・・。

3.ダマスカスの景色
 宿で一緒の部屋やった大学生二人とダマスカスの景色&サンセット&夜景見学に行ってきました。
 その後誘われてアイスクリーム屋に男三人で・・・。
 買って帰ってホステルでビール飲もうや!って言ったら二人とも可愛く1本づつ飲んで終わり。(俺は3本・・・)。
 最近流行の草食家男子?
 

流学日記 in シリア 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月28日(土)05時07分37秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:パルミラにいます~。
            次はダマスカス~。

【ひと言】:シリア人ウザイ・・・、ボッタクリと金くれ野郎ばっかり。

★ パルミラ(8/25~8/27) ★


 シリア砂漠にある街、パルミラにいます。(この辺りは砂漠というよりも土漠か石漠って感じ。)
 ここは元々砂漠のオアシスだった所がシルクロードの整備・発達に伴い、隊商宿に発展したところです。しかもそれに留まらず、隊商宿⇒隊商都市⇒都市国家とどんどんと大きくなり、BC1~AD3くらいに最盛期を迎えた所です。
 その後、273年に当時服属していたローマ帝国に独立戦争を仕掛たが逆に征服され、それ以来再び独立することはなく、今日まで一都市としてあるとのことです。

 その遺跡は規模の大きさ・保存状態の良さから、「シリア1の見所」と言われていると同時に「中東が誇る3P遺跡」の1つとして多くの観光客が訪れいます。(結構日本人も多い。)
 ※3Pの他はヨルダンのぺトラとイランのペルセポリス

 気温は高いけど湿度がなくなった分だいぶん過ごし易いです~。

1.ベル神殿
 太陽神・月神・豊穣神の3神を祭っていた神殿。

2.凱旋門・円形劇場・取引所・集会所・葬祭殿など。かなりの規模の遺跡。

3.アラブ城
 12世紀にエジプトを本拠地にしていたアイユーブ朝によって作られた城。高さ150mの岩山の上にある。中東は昔から外敵の来襲・侵入が激しかったらしく、どの城も堅固なものがおおい。
 権力と富の象徴として建てられたヨーロッパの城とは違い、防御力と機能性に重点がおかれた点は日本の城と共通するものがあるらしい。
 一部の人間しか城に住むことができず、城で働く多くの人は毎日このはげ山を登って通勤していたらしい。ご苦労なことである。
 

流学日記 in シリア 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月24日(火)23時42分22秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:アレッポにいます~。
                       次はパルミラ~。

【ひと言】:日本が凉しそうに思える〜。

★ アレッポ(8/22~8/24) ★

  カッパドキアからバスを3回乗り換え、国境でビザ取得のために1時間走りまわり、(賄賂を渡すことも無く)、無事にシリアに入国出来ました!
  移動時間は待ち時間を含めて約20時間、ホンマに疲れたわぁ・・・。
  先にビザを取得せずに行ったので、国境で入国管理官に『シリアに亡命する気ではないか?』みたいな質問をされてもた・・・。誰にどんなけ頼まれてもシリアなんかには亡命せえへんっちゅうねん、ホンマに・・・。

  やっとこさたどり着いたシリアは・・・、
●暑い!(昼間にホステルでぐたっとしとったら、宿の親父がニコニコしながら温度計を持ってくると・・・、45℃。夜の12:00でも37℃。もちろんエアコン無し。)
●ウルサイ!(大量の車が走り回っている上、クラクション鳴らしまくり。)
●汚い!(街中ゴミだらけ、ゴミ箱に捨てる事をしらんらしい・・・。)
●臭い!(捨てられた生ゴミが異臭をはなっとお・・・。)

と、一見最悪のようですが、物価も安く、まぁまぁええ所もあるかなって感じです。

  アレッポには遙か昔に出来た巨大なアレッポ城があり、かつてアラビア半島1の要塞と言われ、難攻不落を誇った城です。
  城好きとしては必見かと思い、立ち寄りました。

1.BC10世紀に新ヒッタイト王国の神殿として作られ、その後、要塞→城と変化していった。天然の崖の上にあり、高さ20〜30mの城壁と深さ22mの堀で守られており、12世紀からの十字軍の遠征・モンゴル軍の侵攻・チムール王国(今のウズベキスタンにあった国)の侵攻などにも耐え抜いた名城。

2.モロッコを思い出すようなスーク。夏場は臭くてかなわん。

3.中心部にあるオスマントルコ時代に作られた時計塔。この近くが安宿街やけど、ご覧の様に早朝から深夜まで渋滞しておりウルサイ。
 

留学日記 in トルコ 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月21日(土)19時16分24秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:カッパドキアにいます~。
            次はシリアのアレッポ~。

【ひと言】:灼熱の中東戦線を前に優が一時帰国しました。ここからエジプトまでは一人旅っす。

★ カッパドキア(8/18~8/21) ★

 ここはトルコ一の景勝地であり、世界的にも珍しい奇岩の群れがあるところです。
 数億~6000万年前の度重なる噴火で積もった火山灰が長年の風雨により侵食され、このような風景が出来たとの事。
 その見た目が似ている?ことにより、(一部の人の間では)「トルコのナメック星」の異名をとっている程です。
 かつては自然に出来たキノコの様な形の岩をくりぬいて中に人が住んでいたり、迫害から逃れてきたキリスト教徒が奇岩郡の下に巨大な地下都市を作ったりしていました。(一番すごい所は地下19階まであった。)
 それらが至る所に残っており、しかも広大な範囲に広がっているため、観光していると(自転車をかりて爆走した)暑さとしんどさで倒れそうになりました・・・。

1.中心地のギョレメ地区から見たパノラマ景色。一番奥にある高台になっている崖の上に最長老が住んでいるとかいないとか・・・?

2.このようなキノコ状の岩だらけでした~

3.ホステルも洞窟をくり貫いて作った部屋でした。夜は涼しくていいけど7ベッドのドミトリーで、めっちゃ狭い・・・。
 

帰ったよ☆

 投稿者:ゆう  投稿日:2010年 8月19日(木)16時21分36秒
返信・引用
  無事、姫路のおうちに帰ったよ~。
日本も暑いけど、イスタンブールの方が暑い(暑苦しい)と思う。
日本のご飯やっぱり一番おいしい。一気に食欲戻りました。
カッパドキアの写真楽しみにしてるね!

中村家のみんなが周太の髪型(ターキッシュヘアー)見たいといってます。
写真載・せ・て^m^
 

留学日記 IN  トルコ 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月18日(水)20時25分14秒
返信・引用 編集済
  引き続きイスタンブール。

1.ボスポラス海峡をクルージングし、黒海まで行ってきました。真っ青やのに黒海?謎やった。
 オスマントルコの要塞の「アナドル・カバブ」より移した写真。

2.海沿いを歩いているとBBQ中の集団に声を掛けられてご馳走になりました!
 とりたてのムール貝をふんだんに使った名前不明の料理はめちゃくちゃ美味しかった~
 腹痛おこすかが心配やったけど大丈夫でした。

3.イスラム教(しかもラマダンの最中)の国のはずがほぼ何処でもアルコールOK!
 嬉しくなって思わず大ジョッキで乾杯!
 

留学日記 IN  トルコ 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月18日(水)19時41分35秒
返信・引用
  【現在地】:イスタンブールにいます~。
            次はカッパドキアに行く事にしました~。

【ひと言】:イスタンブール、物価高い・・・

★ イスタンブール(8/9~8/17) ★

 アジアとヨーロッパの合流地とか文明の十字路と呼ばれているイスタンブールに来ました。
 確かに地理的にも歴史的にもその通りと思えるくらい色々な物が混じっている所です。(北は黒海より南のマルマラ海に流れるボスポラス海峡をはさんでアジア側とヨーロッパ側の両方に拡がっており、2大陸にまたがる大都市。)
 でも・・・、思っていた以上に観光化されすぎていて、観光客とそれを相手にする商売人ばかり・・・、の印象です。

 街は330年に当時のローマ皇帝、コンスタンティヌス1世がローマよりここ(当時の名前はビザンチウム、遷都後にコンスタンチノーブルに改名)に首都を移して以来、東西分裂後の東ローマ帝国(ビザンツ帝国、395~1204&1261~1453)・ラテン帝国(1204~1261)・オスマントルコ(1453~1922)の首都として栄えた所です。
 日本の年代で言うと弥生時代から大正時代までずっと首都だったとのこと。
 それだけに見所が多いところで長居してしまいました~。


1.アヤソフィア
 360年に東方正教会系のギリシャ正教の総本山として建てられた教会。オスマントルコに占領されてからはモスクに変えられた。
 1つの建物にキリスト教(壁画やモザイク画など)とイスラム教(コーランやミナレットや礼拝所)が混在している世界的にも珍しい建物。

2.スルタン・アフメット・ジャーミー
 「世界で一番美しいモスク」と言われている。外観が少し青っぽく見えるのと内に青色のイズミックタイルを多く使っていることより「ブルーモスク」の愛称で呼ばれている。

3.ボスポラス海峡からみたヨーロッパ側の旧市街地
 一番手前がオスマントルコ歴代のスルタンが住んだトプカプ宮殿。この奥にアヤソフィアがあり、さらにその奥にブルーモスクがある。
 1453年、オスマントルコは10万の軍勢でこの海峡を南下し、7千で守るビザンツ帝国を滅ぼした。左奥がマルマラ海で右は『ビザンツ帝国の海上封鎖⇒オスマントルコ艦隊の山越え』で有名な金角湾。この戦いでコンスタンティヌス11世以下5000人が討死、1100年続いた都と共に2100年続いたローマ帝国が完全に消滅したとのこと。
 

留学日記 In ブルガリア 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月13日(金)22時46分51秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:イスタンブールにいます~。
            次はどこにしよお・・・

【ひと言】:シリアのビザが取れへん・・・。無理かもしれへんけど国境で粘ってみます。賄賂がいるとかいらへんとか・・・。

★ ソフィア  (8/3~8/5 ★
★ プロブディフ(8/6~8/8)★

 ブルガリアといえば、ヨーグルトと琴欧洲くらいしかピンとくることが無い国でしょうか?
 実際何があるかは俺らもよくしらんまま、首都のソフィアと街中にローマ時代の遺跡が残っていることで有名(らしい)プロブディフに行きました~
 遺跡と教会以外の見所はそれほどなかったけど、双方とものんびりした街で、「ご飯がおいしい&物価が安い」事が一番良かったです~!

1.円形劇場
 これらのほかにも要塞跡や円形闘技場、城壁跡など色々と残っていました~

2.プロブディフは岡山市と姉妹都市らしく、街を歩いていると突然桃太郎がおってびっくりやった~

3.ここもサラエボと同じでもはやヨーロッパの雰囲気ではない街でした~

※※画像は普通にデジカメで撮った写真を圧縮して1MBくらいにして貼り付けとんねん。デジカメの機能に「メール貼り付け用の圧縮」ってのがあって、それで大丈夫っす。
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年 8月 9日(月)23時38分20秒
返信・引用
  そやそや
アップしてる写真何でとってるん?デジカメ??
この掲示板1M以上の画像貼付けれんやん??しょぼ。。
 

ごめんごめん

 投稿者:なき  投稿日:2010年 8月 9日(月)23時35分18秒
返信・引用
  でもほぼ毎日みてるで~  

留学日記 In ルーマニア 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月 7日(土)23時35分53秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:プロブディフ(ブルガリア)にいます~。
            次はイスタンブールを目指します~。

【ひと言】:是非是非コメント頂戴なぁ~!

★ ブカレスト(7/29~8/2) ★

 ルーマニアは不思議な国で、BC800年くらいから人が住み着いたのが始まりですが、300~1300年の間の歴史がルーマニアにも周辺の国にも全く記述がなく、「不明の1000年を持つ国」と言う人もいるらしいです。
 街はチャウシェスクの35年間の独裁政権時に全て古い街並みを取り壊し、灰色の建物に変えてしまったため、全くヨーロッパらしさがありません・・・
 旧東欧諸国の革命の中で一番悲劇のあった所で、「大統領による一般市民の大量虐殺→一般市民対軍の市街銃撃戦→大統領夫妻の処刑」と、ちょうど200年前にあったフランス革命を思い起こさせるような壮絶な革命は流血革命と呼ばれたらしいです。

1.元大統領官邸と革命広場
  1989年12月、市民と軍が大統領官邸前の広場で最後の銃撃戦を繰り広げた。これに勝った市民は官邸へ攻め込むがチャウシェスクは共産党本部へ逃走。

2.旧共産党本部
  ここに逃げ込んだチャウシェスクは2階のテラスから市民に向け最後の演説をした後、ヘリコプターで屋上から更に逃走した。結局その後捕まり、夫婦ともに銃殺された。

3.国民の館
  チャウシェスクが作った宮殿で、国民の館とは名ばかりで私欲を満たすためだけの物であった。完成間近に処刑になったため、結局ここには住むことはなかったらしい。
  国民が飢えに苦しんでいるときに大金をかけて作ったらしく、処刑になる理由がよく分かるほど大きくて豪華な建物でした・・・。
  現在でも「世界一大きい宮殿」の記録を持っているとの事。
 

留学日記 In セルビア 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 8月 7日(土)23時05分18秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ソフィア(ブルガリア)にいます~。
            次はプロブディフ(ブルガリア)を目指します~。

【ひと言】:久々に日本語OKのPCに出会いました~。

★ ベオグラード(7/23~7/28) ★

 ベオグラードはバルカン半島の中心に位置するため、BC4500年くらいから様々な民族(ケルト人・ローマ人・スラブ人・トルコ人・セルビア人などなど)の争いの場となってきた所です。
 街には古代遺跡などもあり見所満載です~。
 近年アメリカが「セルビア人は悪魔の民族」と呼んでいましたが、そんな事は全くなく、明るくて親切で気さくな人ばかりで楽しいところです~

1.サヴァ教会
  東方正教会系で世界最大の協会(セルビア正教)。
  中もカトリックやプロテスタントとは全く違い、同じキリスト教でも色々あるんやな~って思いました。

2.NATOの空爆跡
  1999年に3ヶ月に渡り空爆をしたNATO。理由はどうであれ、一般市民の頭の上から爆弾を落とすとは恐ろしい・・・

3.マラカナスタジアム
  ユーゴ1の名門、レッドスター・ベオグラードの本拠地。1991年のトヨタカップでも来日し、世界一に輝いた。
 

流学日記 in ボスニア・ヘルツェゴビナ 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 7月23日(金)03時56分9秒
返信・引用
  【現在地】:サラエボにいます~。
            次はベオグラードを目指します~。

【ひと言】:サラエボ...、本当に平和です。紛争は今や昔の話?

★ サラエボ(7/19~7/22) ★

  1984年の冬季オリンピックの会場であり、オシムじいちゃんの故郷です。
  1992-1995の3年半に及ぶ紛争で死者20万、難民・避難民200万が発生...、ユーゴスラビア解体の中で最悪の紛争となった所です。
  砲弾跡や銃痕も残ってはいますが、復興もだいぶ進んでいます。
  街はヨーロッパ風ではなくオリエンタルなムードがあり、GOODな雰囲気~

1、旧市街
   ここは東南アジア?

2、ラテン橋
   1914年6月28日、当時ここを支配していたオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク家)の皇太子フランツ・フェルディナント夫妻がセルビア人の学生によって銃撃・暗殺された、いわゆるサラエボ事件発生現場。
   怒ったオーストリアがセルビアに宣戦布告。緊張状態にあったヨーロッパ各国に飛火し、連鎖的に戦争が勃発。第一次世界大戦に発展した。

3、スナイパー通り
   紛争の最前線で、ここを通る人は全員高層ビルにひそむセルビア人スナイパーに狙い撃ちされた。住民は真夜中に身をかがめながら食料や水の確保に走り、多くの人が射殺された。
   黄色い建物はホリデイ・イン。紛争中も営業を続け、世界中のジャーナリストが滞在し、戰況を伝えた。
 

流学日記 in クロアチア 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 7月21日(水)04時53分6秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ドゥブロヴニクにいます~。
            次はサラエボを目指します~。

【ひと言】:ドゥブロヴニクは地上の楽園...。是非どうぞ!

★ ドゥブロヴニク(7/14~7/18) ★

  ここはポルトガルのポルト、スウェーデンのストックホルム、バルト海のゴトランド島ヴィスビーなどと並んで「魔女の宅急便」の舞台になった街と言われています。
「アドリア海の真珠」といわれる美しい町街みと青い海が有名で、近年世界中の旅行者の間で人気急上昇中です。
  連日35度越えの猛暑ですが、アドリア海にプカプカ浮かびながら楽しんでいます~
  物価も安くごはんもおいしい、本当に天国です~
 

流学日記 in スロベニア 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 7月13日(火)23時20分11秒
返信・引用
  【現在地】:同じくリュブリャナにいます~。
            次はドゥブロヴニクを目指します~。

【ひと言】:バブルガムフェローに続きオグリキャップが...。

★ リュブリャナ(7/8~7/13) ★

スロベニアはユーゴスラビアから一番最初に独立を果たした国です。(二番目がクロアチア。)
人口200万人程度の小国ながらEUに加盟したり今回のWORLD CUPに出場したりと、着実に発展をとげている国です。
首都のリュブリャナでさえ緑が多く、の~んびりした雰囲気が漂ってます~。

1.ブダペストに負けんくらい夜景がきれい~。(1箇所だけやけど。)

2.竜王みたいなドラゴンがリュブリャナの守り神らしく、市内中心部に4匹おった。

3.決勝も無事観戦できた~。1つの店にスペイン応援組(多数)とオランダ応援組(店長以下小数)がおって、大盛り上がりやった~。
 

流学日記 in クロアチア 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 7月10日(土)04時17分25秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:スロベニアのリュブリャナにいます~。
      次はクロアチアのドゥブロヴニクを目指します~。

【ひと言】:次は久しぶりに海が見れる~。

★ ザグレブ(7/3~7/7) ★

   旧ユーゴスラビアは非常に複雑な国で、『7つの隣国と接する、6つの共和国で構成され、5つの民族が住み、4つの言語を話し、3つの宗教を信仰する、2つの文字を使う、1つの国』でした。
   (7つの隣国:イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)
   (6つの共和国:セルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア)
   (5つの民族:セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人、モンテネグロ人)
   (4つの言語:セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語)
   (3つの宗教:東方正教、カトリック、イスラム教)
   (2つの文字:キリル文字、ラテン文字)
   (1つの国:ユーゴスラビア)

   1990年に行われたイタリアワールドカップでこの国の見事なサッカーを見て以来興味を持ち、いつか来たいと思ってました~。
   (ちなみにこの時の代表監督がボスニア・ヘルツェゴビナのイビチャ・オシム:前日本代表監督、エースがセルビアのドラガン・ストイコビッチ:現名古屋グランパス監督、他にはマケドニアのダルコ・パンチェフやACミランで活躍したモンテネグロのデヤン・サビチェヴィッチらがいた。同じくACミランで活躍したクロアチアのズヴォニミール・ボバンは暴力事件で出場停止中・・・。)
   ピクシーの凄まじいプレイは86年のマラドーナ以来の衝撃でした~。

1.マクシミール・スタジアム(ディナモ・ザグレブのホームスタジアム)
    昨年日本のCMでも使われた、ボバンが暴力事件を起した所。1999年にはカズも所属したクロアチアを代表する強豪クラブ。(宿泊した民宿のおじさんが俺達が日本人とわかると、ミウラ~ミウラ~って言って喜んどった。)
    詳しくはこちらを    http://www.youtube.com/watch?v=Y9GR7bf5gBw

2.教会の雰囲気もクロアチアらしくてかわいい。

3.疎開に行く人みたいらしい・・・。
 

流学日記 in ハンガリー 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 7月 9日(金)16時56分6秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:クロアチアのザグレブにいます~。
      次はスロベニアのリュブリャナを目指します~。


【ひと言】:久々にヨーロッパらしい所にきました~。


★ ブダペスト(6/27~7/2) ★

  ハンガリーは、元々ウラル山脈付近の遊牧民(マジャール人)が移住して作った国で,ヨーロッパで唯一のアジア系民族の国です。
   13世紀には同じアジアからはるばるわざわざこんな所まで攻めてきたモンゴル軍に破壊の限りを尽くされたらしい・・・。
   その他にもおなじみの3つ(ハプスブルク家,ナチス・ドイツ,ソビエト連邦)に加えてオスマン帝国にも支配されとったとの事・・・。
  いやはやいやはや・・・。

  その首都のブダペストは『ヨーロッパ有数の美しい夜景&温泉』が有名です。(屋外の大きな温泉につかりながらチェスをしているチェス風呂は日本でもよく旅番組などでも紹介されてます~。)
  なかなかの雰囲気があるGOODな街です~
 

流学日記 in ポーランド 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 7月 2日(金)03時14分34秒
返信・引用 編集済
  【現在地】:ブダペストにいます~。
       次はクロアチアのザグレブを目指します、かつてヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島にあった旧ユーゴスラビアの国を周ります。(今は平和です~)

【ひと言】:パラグアイだけには足をふみ入れるまいと、誓いました。

★ クラクフ(6/23~6/26) ★

  ここはポーランドの古都で、雰囲気のいい街ですが、1番の目的はここの西45KMにある『アウシュビッツ・ビルケナウ』の強制収容所を見ることです。
  「死の工場」と呼ばれ、2次大戦中にユダヤ人を始めポーランド人やソビエト捕虜兵、ジプシーやロマ、はては自国ドイツや同盟国イタリアの反ナチスの活動家達150万人もの人が殺された所です。
  アウシュビッツには28棟にMAX28000人が、ビルケナウ(アウシュビッツ収容所だけでは間に合わなくなってきたため、1年後約3km離れた所に第2収容所として建設された)には300棟にMAX100000人が収容され、強制労働・人体実験・大量虐殺などが行われました。
  やはり異様な雰囲気がする所でした。

1,アウシュビッツの正門
    「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という標語が書かれている。実際は大嘘で・・・、出口は無く、煙突からのけむりとなるのみだった。

2,ビルケナウの正門
    「死の門」と呼ばれた門で囚人たちを乗せた貨物列車がこの門を通過して収容所に入っていった。列車の引き込み線は、死の門を越えて、さらに収容所の奥深くまで続いており、その先には4棟のガス室がある。

3,ガス室
    アウシュビッツに1棟、ビルケナウには4棟ある。戦争終結時に、撤退するSS隊員らによって証拠隠滅のために破壊されていった。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2010年 6月27日(日)18時51分14秒
返信・引用
  やっぱヨーロッパはおしゃれやな!
ポーランドやハンガリーなんか、ごっつ風情合ってええのんとちゃう?

しかし、日本やったな!!
 

流学日記 in ドイツ ④

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 6月26日(土)21時49分19秒
返信・引用
  【現在地】:ポーランドの古都、クラクフにいます~。
      次はハンガリーのブダペストを目指します~。

【ひと言】:デンマーク戦、本当に良かった!!

★ ベルリン(6/16~6/22) ★

 ヨーロッパにおける激動の世紀と言われた20世紀の中心をなした街、ベルリンに来ました。
 街は1次・2次大戦でほぼ焼かれているので古き良きヨーロッパといった雰囲気は全く無いけど、現代史を知る上でも是非訪れたい街でした。

1、総統官邸跡
   ヒトラーはここに住み、ここから指令を出し、ここの地下壕で自殺した。ネオナチの聖地になる事を恐れ、今では完全に取り壊され、駐車場になっており、看板が残るのみであった。
   ここから南にいけば悪名高かったゲシュタポ(秘密警察)とSS(ナチス親衛隊)の本部跡。南東に行けば東西分割時の国境検問所のチェックポイント・チャーリー。北に行けば東西統一の象徴であるブランデンブルク門とユダヤ人の犠牲者を追悼した大モニュメントがある。

2、ベルリンの壁
   1961年8月13日~1989年11月9日まで西ベルリンを囲んでいた壁。長さは140Km以上で高さは4.1m+有刺鉄線。
   市内の色んなところに壁跡が残されており、多くは諷刺画が書かれていた。写真の他にも大男が壁を楽々乗り越えて行く絵やソ連のブレジネフと東ドイツのホーネッカーの接吻のシーンを否定した絵、東ドイツの車(トラバント)が壁を突き破る絵などがあった。

3、ブランデンブルク門
   東西ドイツ統一の象徴となっている門。古くはプロイセン王国の凱旋門として作られた。
   1989年11月9日、多くの市民がここに建っていた壁の上によじ登り、騒いでいた映像はニュースやCMでもお馴染み。

これらの他にも旧東ドイツの建物;SED(ドイツ社会主義統一党)の本部跡やDDR(東ドイツの略)ミュージアム、シュタージ(東ドイツの秘密警察)博物館などがありました。
 

流学日記 in ドイツ 3

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 6月24日(木)02時08分23秒
返信・引用
  ★ ドレスデン(6/13~6/15) ★

W杯,BARやPUBLIC VIEWINGやHOTELでみとおで~!

旧東ドイツ有数の大都市であったドレスデンにいます~
 

留学日記 IN チェコ①

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 6月24日(木)01時47分21秒
返信・引用
  ★ プラハ(6/7~6/12) ★

ネット環境悪い...

プラハは9世紀に創建された中欧の古都で、かつてのボヘミア王国やチェコスロヴァキア共和国,現在のチェコ共和国の首都です。
「百塔の街」とか「ヨーロッパの魔法の都」・「黄金のプラハ」などと形容・賞賛される美しい街ですが,その歴史は悲しく・・・,多くの時代を他国(ハプスブルク家やナチス・ドイツ,ソビエト連邦など)に侵略・支配され続けました...

★ユーロ通貨圏から自国通貨圏(チェココルナ)へ,旧西側陣営から旧東側陣営へ入り、物価がグッと安くなりました!

1.歴代のボヘミア王の居城であるプラハ城。下を流れるのはスメタナの曲で有名なヴルタヴァ川(モルダウ川)。旧市街とをつなぐカレル橋はすごい人で賑わっていました~

2,ボヘミアの守護聖人,ヴァ-ツラフの名前を取ったヴァ-ツラフ広場。
  1968年,プラハで起こっていた自由化・民主化への政治変革運動,[プラハの春]を弾圧するため,ソビエト連邦主導のワルシャワ条約機構軍が戦車の大群で侵攻した広場。多くの人が弾圧され1970年、プラハの春は実らずに終焉した...
   20年後、同じ広場に100万人の国民が集まり,民主化を要求。見事に無血で共産党体制を倒した,[ビロード革命]で自由を取り戻した。
   本当に良かった良かった...

3,1人当たりのビール消費量が16年連続世界No.1
   ビヤホールで500mlの生ビールが100~200円程度!
   天国です!
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年 6月16日(水)23時16分1秒
返信・引用
  W杯みてるか~?  

留学日記 IN オーストリア②

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 6月 5日(土)19時38分6秒
返信・引用
  ★ ウイーン(6/1~6/6) ★

 650年間中央ヨーロッパを支配してきた世界一の名家、「ハプスブルク家」の大帝国の首都であり、音楽の都であるウイーンにやってきました!
 歴史に溢れ、威厳漂う強そうな街です。
 街中にハプスブルク家の人(歴代の皇帝やマリアテレジア・エリザベドなど)や音楽家(モーツアルト・ベートベン・ヨハンシュトラウス・シューベルトなど)の銅像などがあり、雰囲気は最高にGOOD。
 この旅初のユースホステル(6人部屋)に泊まってます、思ったより気を使う必要もなく楽チンです~

『ホーフブルク王宮』
 皇帝の部屋や晩餐会場、神聖ローマ帝国の皇帝の冠やハプスブルク王国の国王の冠、各年代に使われてきた金や銀で作られた食器などがありました~

『シェーンブルン宮殿』
 ハプスブルク家の夏の離宮。マリアテレジアやマリーアントワネットの肖像画、1918年にオーストリア版の大政奉還があった部屋、ウイーン会議が開かれた部屋などが見所です~

『クラシック・バレエ・オペラ』
 観光客向け?かもしれませんが一気に3つが見れるコンサートに行ってきました!(しかも会場はシェーンブルン宮殿内の部屋!)
 モーツアルトのフィガロの結婚やドンジョバンニ、ヨハンシュトラウス(父)のラデッキー行進曲や(子)の美しき青きドナウなど有名どこをいっぱいやってくれたのでわかりやすかったです~

『ザッハートルテ』
 王宮の目の前にあるハプスブルク家御用達の店、「デーメル」で名物のザッハートルテを食べました、めちゃ甘かった・・・。

1.シェーンブルン宮殿
2.有名なモーツアルトの銅像
3.ザッハートルテが似合わん・・・。
 

留学日記 IN オーストリア①

 投稿者:しゅう~た  投稿日:2010年 6月 5日(土)19時13分28秒
返信・引用 編集済
  太陽公園ダス~~

★ ザルツブルク(5/28~5/31) ★

 モーツアルトの誕生地であり、映画のサウンド・オブ・ミュージック(俺は見たことない・・・)で有名なザルツブルクに来ました!優は映画を何度も見たらしく、喜んでます~
 人口15万くらいの小さい田舎町やけど観光客いっぱい・見所いっぱいで楽しい街です!

1.街中モーツアルトの銅像や看板やお店で溢れていました~
2.映画で主人公一家がドレミの歌を練習したことで有名なミラベル庭園。
3.街の至る所で子供から大人までのコーラス隊がいました、さすがは音楽の街!
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年 6月 1日(火)23時58分47秒
返信・引用
  太陽公園の白鳥城じゃね?  

流学日記 in Germany 2

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月31日(月)02時43分30秒
返信・引用
  ★ フュッセン(5/25~5/27) ★

ドイツロマンティック街道の南端 no フュッセン he ノイシュバンシュタイン城 wo mini ikimasita.

1 ノイシュバンシュタイン城
2 ホーエンシュヴァンガウ城
3 のどか na フュッセン no 街
 

流学日記 in Germany 1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月31日(月)02時37分18秒
返信・引用
  ★ ミュンヘン(5/20~5/24) ★

1-2-3 ミュンヘン de 1ban 老舗 no ビアホール,ホ-フブロイハウス nite
 

流学日記 in イタリア②

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月23日(日)02時40分40秒
返信・引用
  ★ ミラノ(5/14~5/19) ★

ファッションの都、ミラノに来ました!(俺にはあんまり関係ない?)
大学以来、10年ぶりで懐かしいです。
叔母の友人の家に4日間ホームステイさせてもらい、色々連れて行ってもらえました。

1、フランコ家にてホームパーティー
2、北イタリアの湖水地方、コモ湖にて
3、ゴシック建築最高傑作品のドゥオモ(大聖堂)
 

流学日記 in イタリア①

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月23日(日)02時16分42秒
返信・引用
  ★ ジェノバ(5/10~5/13) ★

 ジェノバは11世紀の十字軍の遠征以来、海洋国家として栄えた所です。
 コロンブスの生まれたところであり、母を尋ねて三千里のマルコがブエノスアイレスに向けて出発した所であり、カズが1年間在籍したところです。
 街は綺麗な港街ではなく、至る所に娼婦がおり、妖し~い感じ・・・。

1、コロンブスの生家
2、イタリア上陸で早速ピザを食べに行きました!窯焼きでめっちゃGOOD。
3、ジェノバ名物のジェノベーゼパスタも食べました!
 

流学日記 in フランス③

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月23日(日)02時05分20秒
返信・引用
  ★ ニース&モナコ(5/5~5/9) ★

地中海で1番綺麗な海岸線を持つ、コートダジュールに来ています!

ニースはエレガントな所です。お金持ちだらけ・・・。貧乏旅行者には少し場違いな所・・・、でもキッチン付のホテルを1泊36ユーロで借りれたので毎日料理しています!

モナコはニースよりもさらにエレガントです!街中高級車だらけ。来週行われるモナコグランプリの用意で忙しいそうでした。グレイスケリーに関するものが一杯ありました~

1、モナコの有名なグランカジノ前にて。正装しか入場できひんかった・・・。
2、街中高級車、後ろはF1の観客席。
3、国王(大公)のクラシックカーのコレクション、100台以上ありました。
 

流学日記 in フランス②

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月18日(火)06時02分37秒
返信・引用
  ★ マルセイユ(5月1日~4日) ★

初の(優はパリに次いで2回目)フランスです。
マルセイユは優雅で高貴な「おふらんす~」の感じではなく、漁師町の感じがします。

1、港沿いのレストランにて昼食。一応ブイヤベ~ス(もどき)を食べました
2、フランスの誇る超特急、TGVではなく普通列車にてニ~スへ
3、ニ~スの海岸線
 

しゅーたさんきゅ~!

 投稿者:すま  投稿日:2010年 5月12日(水)23時31分38秒
返信・引用
  遠くスペインより、お祝いありがとうな~!
5月2日に無事結婚式を挙げることができたわ。いやいや、結婚式って楽しいな♪みんなに祝ってもらえて最高に幸せやったぞ!!
しゅーたも、楽しんでるようやな^o^

俺もスペイン行きたかったからな~、サクラダファミリアすごいんかなって思ってたのに、竹中工務店なんや汗

そろそろ日本食恋しくなるやろな~、なんやったら内祝いで日本食送ろけ?^皿^
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年 5月10日(月)23時37分3秒
返信・引用
  須磨ちゃんの結婚式よかったで~。
写真をUPしようか思ってんけど、1Mまでしかあかんとかなんとか(しょぼ)
残念や、まだどないかUPできたらご連絡。
 

流学日記 in France:1

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月10日(月)01時07分50秒
返信・引用
  Maruseiyu (5/1-5/4) Nice & Monaco(5/5-5/9) desu

matamata nihon go de mirukoto & kakukoto & gazoutenpu dekihin...
net kankyhou warui desu...

mainichi jisui site tanosinde imasu !
 

流学日記 in スペイン:④

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 5月 4日(火)02時45分56秒
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  須磨 勇介氏 、結婚おめでとうございます。
出席できひんかってホンマニすまぬ・・・。
遠くからやけどお祝いしています&皆様東京は楽しかったですか?また教えてなぁ~~

★ BARCELONA!(4/23~4/30) ★

タンジェからフェリー・夜行バスを乗り継いで、26.5時間・・・、この旅最長の移動でバルセルナへ来ました!流石に疲れた・・・。
でもここでは有名な3つ、すべてを制覇?してきました。

①バルサ!
  到着翌日にリーグ戦が、5日後にチャンピオンズリーグのインテル戦があるから早速チケットを買いに行くと、BOOK FULL・・・、唯一あったのは一番高い席(1人110€)、ビンボー旅行のため諦めてBARにて観戦しました・・・。リーグ戦はイブラヒモビッチ・アンリの
得点で快勝、でもチャンピオンズリーグは敗退し、バルセルナの街は沈んでました。翌日、一応カンプノウの見学だけ行きました。

②サグラダ・ファミリア!
  ガウディの代表作に見学に行ったはいいもの、未だに建設中のため、クレーンが5棟・SOSの垂れ幕・鉄骨の足組み・・・、などなどで覆われており、いまいち芸術の感じがしませんでした。何か、『設計;ガウディ、建設;竹中工務店』みたいな感じでした。

③フラメンコ!
 これは凄かった!その迫力・興奮は満点!是非是非お勧めです!

※ご飯は美味しいで~、大満足。やけど優がお茶漬け・漬物・味噌汁・・・などなど日本食を懐かしいがってるわ~、バルセロナではじめて日本食を食べに行ったけど、いんちきって感じやった・・・。
※カサブランカはモロッコで一番都会の都市です。「君の瞳に乾杯!」で有名な所っす。

こんな毎日です。 ではでは。
 

shuta

 投稿者:shuta  投稿日:2010年 4月28日(水)20時21分12秒
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  barcelna ni imasu!

nihon go de mirukotomo kakukotomo,gazouwo okurukotomo dekimasen...
toriaezuha genki desu...
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2010年 4月24日(土)22時07分27秒
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  飯はどないけ?
うまいんけ?
腹こわすなよ~
 

(無題)

 投稿者:なき  投稿日:2010年 4月22日(木)00時32分25秒
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  カサブランカってどこの国??
ってか、ヨーロッパは噴火の影響で空の便が大変やて最近ニュースでようゆうてるけど
多分空路はつかってないやろうから心配はしてなかったけどね。
 

今日のひとこと:③

 投稿者:しゅ~た  投稿日:2010年 4月20日(火)03時05分40秒
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  ★ 商業都市:カサブランカ ★

マラケシュ(フェズに次ぐ古都)に5泊(4/10~14)、エッサウィラ(大西洋岸にあるモロッコのリゾート地)に3泊(4/15~17)し、今はカサブランカにいます。
アイスランドのボルケーノの影響はありません~

1.マラケシュの中心にあるフナ広場のジュース屋台。1杯3DH(約35円)で絞りたてが飲める!
2.エッサウィラの港にて2KGのカニを1匹焼いてもらってガッツイタ!
3.カサブランカにある200mの世界最大のモスク(ハッサン2世モスク)。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2010年 4月11日(日)12時27分5秒
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  お、画像がどんどんアップされてええかんじやんkじぇ~。
中東に別荘建ててかえってこいや。

ほな気付けて
 

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