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掲示板を再開します

 投稿者:n  投稿日:2016年 3月31日(木)20時33分4秒
返信・引用
  nです。
古いコメントの山河という投稿者は、私です。
あまり管理する余裕が無さそうですが、立ち往生するまでは置いておきます。
霊事やオカルトなどについて情報交換できるとうれしいです。
未熟者の私では、重い深刻な悩みには応じにくいかもしれません。
常識の範囲内であればなんでもいいですよ。
私にも、いろいろ教えてくださいね。
 
 

明けましておめでとうございます^^

 投稿者:ゴッホ  投稿日:2011年 4月 4日(月)01時43分3秒
返信・引用
  遅ればせながら、明けましておめでとうございます^^

バーバラ・ブレナンさんの本、購入しましたよ。
そういうことだったんですね、なるほど…。いま気付きました。
確かに家族関係にもとても役に立ちそうですね。
私はもうお爺ちゃんですが、聖母と共に頑張ってゆきます。^^

皆さま、どうかどうかご自愛ください。では。
 

山河さんへ

 投稿者:阿空♪  投稿日:2010年10月14日(木)21時28分30秒
返信・引用
  > No.44[元記事へ]

山河さんへのお返事です。

山河さん、夢のお話ありがとうございます。


母は病から学べと、病者の生涯を私の学びに示していたのかも知れません。


病に学び、世に生かせ。


そんな気持ちです。


内臓疾患。症状や悪化予防に関してご病気をよく学んでこられたこととお察しいたします。


その学びが、山河さんの深みとなり、方向性をもたらし、また慎重さとなったのではないでしょうか。


お力になれることがございましたらぜひ、お声かけくださいませ。


ご自愛くださいね。


ゴッホさん。またいつか、ご都合のよい時にお話くださいませ。楽しみにしております。
 

Re: ゴッホさんへ

 投稿者:山河  投稿日:2010年10月14日(木)18時39分33秒
返信・引用
  > No.43[元記事へ]

ゴッホさんへのお返事です。

はい、ゴッホさん。
勤勉ですね。
お気楽に、マイペースで進んでいってください。
寒くなりますから、お体を大切に。

>他者の学説を大量に読破しておかねば、共通認識が持てない様な
そうですね。
言語は、その背景となる言語ゲームが必要です。
言語はそれに乗って動く意味、なので、言葉の意味はその背景や状況などによって決まるようです。
ですので、同じ言葉でも、そのひとの経験によって意味が違っても仕方がないのかも。
言葉は示す道具なので、言葉の意味を知るならば、文脈や文や口語が属している背景の言語ゲームから理解されなければならない・・・つまり、その背景にあたるのが、そのひとの思考の正体。

(※話が逸れます)
などなど、
こんなことを書いていると、ここを読んでくださるひとには、今までの流れは『理詰めでものごとを考えている』と思われてしまうのでしょうが、これは数学の公式のようなものなんですよー。
与えられるできごとについて簡単に、整理したり、変形したり、展開したり、分解したりするためのテクニックのようなものです。
それが活用できれば、メディアとか社会的に目立っている誰かの意見や発言に傾倒したり、鵜呑みに、あるいは誰が正しいのかと考える必要はなく、自分は世の中をどう見ていきたいかの判断材料につながっていきます。
感性だけで進もうとすると、感性や直観はその時の気分や雰囲気のようなものなので、自我と霊体のメンテナンスができていないとゆらぎが大きい。
自立を失った自我ではもっと難しい。
理性的に、冷静に、心の眼で世界を眺める必要もあると思います。

それでは、ゴッホさん。元気元気で。機会があったらまたお話してください。
 

お詫び

 投稿者:ゴッホ  投稿日:2010年10月13日(水)01時33分30秒
返信・引用
  dear all

今日は湿気てますが、最近は涼しい日も多いですね。
チリ鉱山で救出されることを待っている人たちも、湿気の中で頑張っているそうです。

さて私、前回の投稿で間違ったことを書いておりました。
私の学が足りないがゆえに、正しい表現ができませんでした。
本当にこの“霊の世界”=“内的に認識できうる世界”のことに関しては、ちゃんと“定義付け”というものをはっきりさせておかないと、“言語表現”がままなりません。
哲学者のヴィトゲンシュタインが、その表現において記号を利用することを重視したことに大変うなづけます。
また他者の学説を大量に読破しておかねば、共通認識が持てない様な非常にしております。

ですので、こういったことを踏まえて、掲示板上で言語によるコミュニケーションするには限界が出てきますね。
これを防ぐためには、上述の件が本当に大事だなと思いました。

ちょっとまた本の虫になろうかと思います。
自分で組み立てて行きながら。

みなさん良い年末を迎えられますように。
 

山河さんへ

 投稿者:阿空♪  投稿日:2010年10月 7日(木)10時40分6秒
返信・引用
  > No.40[元記事へ]

山河さんへのお返事です。

ありがとうございます。


阿空、故郷の神社が、岩戸開きに関わる神様を祀ってあり。


変容の時代に生まれ合わせた意味をかみしめています。



試験、頑張ります。ありがとう。


90歳の阿空母、この数日体調不良になり。基本動作レベルが落ち、今日は発熱。


ゴッホさんのお話も、山河さんのお話も、落ち着いたらゆっくり拝見いたします。
 

Re: ゴッホさんへ (追記)

 投稿者:山河  投稿日:2010年10月 7日(木)10時33分33秒
返信・引用
  > No.39[元記事へ]

>寺林峻『逆境を転じる龍神の霊力』に出てくる主人公みたいな人

なんと表現していいか分りませんでしたが、ちょうど良いマンガを見つけたので追記しておきます。
井上雄彦『バガボンド』7巻の#64天地自然から8巻の#69命までに出てくる、宮本武蔵や上泉伊勢守秀綱の心境に似ています。
探せばほかに場面があるかも知れませんが、とりあえず。
あれは武においてのある境地を表現したものなので、情けないことですが言葉ではなかなか言い難いですね。
愛でも「天地はひとつ」という心の状態があると思いますが、また違った研鑽からの「天地はひとつ」という境地なのだと思います。
 

Re: 今日はお祭り♪

 投稿者:山河  投稿日:2010年10月 7日(木)00時02分43秒
返信・引用
  > No.34[元記事へ]

阿空さん。
毎度反応が遅くてすみません、応援が遅くなりました。

試験、頑張ってくださいね!

夜は冷えますから徹夜の勉強の際には気をつけて。
 

Re: ゴッホさんへ (超長文)

 投稿者:山河  投稿日:2010年10月 7日(木)00時00分39秒
返信・引用
  > No.36[元記事へ]

長文に、鬼長い文で返してしまい申し訳ありません。

>精霊は人間と共に進化しているというような感じでしょうか
これは、
『人間である限り、現世を、物質的なことを無視することはできません、私が実践を重視するのはそういう意味もあります』
と私が投稿した内容と同じことを示しています。
輪廻による魂のつらなりがあって、高次があるなら、底辺もあると思いますが、ゴッホさんはいかが思うでしょう。
そうであるなら、低いところには魂の物質的な部分(業とか欲とかですね)が含まれていると言えます、そこに属する霊も鍛えて向上させなければならないのではないかということです。
この現世ではどちらかというと物質的なちからが強いという構造世界です、人間も、ただ純粋で清廉潔白なだけではその物質的なちからの強い人間に負けてしまいます。
神の世界でならそれでいいのでしょうが、我々は現世に生きる人間です。

>この時代この日本の人間が、人霊ではなく精霊化しているのは間違いないでしょう
むかし昔から比べ、文明も進み宇宙開発や社会のカルマや物が増えましたので、人間の魂の底辺に関わる物質的な部分も増えてきたということのように私などは思います。

>いわゆる悩むということは“思うということ”であり
いずれにせよ、ひとは心にいろいろ描いたとしても最後はどれかひとつ想念を自分で選択し意思とするものと思います。

>たたく側の私に迷い、悩みがあっても当然ではないでしょうか…
はい、そうなのですが(笑)
ご勘弁とあったのですが、そのあとの文章と関係してくるので、失礼にならない程度に書かせて頂きます。
ゴッホさんのお話は、いろいろと浮かぶ断片的な霊的情報を組み合わせ繋ぎ合わせていかなくてはいけない地道な作業なので、その過程で間違ってしまうことって、ありませんか、ということですね。
それはその通りと思いますよ。
現世で生きる人間という我々は肉体が自我表出の場になっているので、神性や霊性があるといっても物質的な志向性が強く表れやすく、どんなに修行をした行者でもその意思はぶれやすいようです。
しかし指導霊などの人間を導く側の、いわば高次に近い霊は、そのような物質的なところは少ないわけです。
ですから端的に言えば、迷いや業想念、思い込みにまみれやすいのは人間のほうになると言えます。
そういった人間が霊との交流で、彼らの思想や話を現世におろすには、なるべく、人間の側でも高次に近づく努力が必要になると思います。
その姿は、ほかの人間から見れば『他界せずに霊の世界に入っていく』感じです。
彼ら(守護霊たち)の世界に触れるということは、すなわち自己の内的世界を深めるということ。
魂に沈潜するということは、こだわりのない自我を獲得していくことですが、そのこだわり、物質的な志向性を探求するうえで持ち出すと、途端にありのままの実像が見えなくなってしまいます。
スピリチュアルに関する迷信や俗説はそこから生まれるのだと思います。
私が「霊の世界でそれをやると途端に迷いや物質的価値観に陥る」と書いたのは、そのような思索からであり、物質的価値観に振り回されないためには、とらわれのない自我が必要になるのです。
脳科学の世界にも、似たことが言えます。
世の中にあふれる脳に関するさまざまな情報、科学的な根拠の薄い情報を神経神話と言いますが、そのような説が、科学的に正しいかどうか見きわめるには、脳に関する正しい知識を得ることが第一歩になるそうです。
スピリチュアルにある基準を設けるとすれば、判断の基礎となるものは、とらわれのない自我、あるいは理性だと思います。
認知科学ではメタ認知という考え方ですね。
それは神道にもあって、サニワと呼ばれるものです。
サニワは神霊に対して使うものであって、霊魂の真偽を見分けるわざだという神道家がおられるかもしれませんが、私としてはほかの学問との共通点を探して一般化させたいのです、霊感はないのでスピリチュアルなことは分からないという世界であっては、いつまでも縁あるかたにしか開きませんので。
話を戻しますと、理性とはつまり、ものごとについて『吟味すること』『検証すること』のようなものなので、対象に向かうその心理はメタ認知やサニワと似ていると言えると思います。
迷いや物質的価値観に陥らないためには、自己の理性に訴えればよいのではないかと思います。
私はそれプラス、無償で語ってくれた霊たちへの義理と情があるので、なるべくとらわれのない自我を持ちたいと思っております。

>ここでいう自我とは・・・荒魂、和魂的なもののことですか?
とりあえず、どちらに解釈されても構わないように書きました。

>いわゆる良心にあたるもの
はい、実感できないうちは、良心や理性という認識でよいと思います。
しかし、神や高級霊の善と、人間の善は異なりますので、ひとくちに良心と言いきってしまうには、あとあと語弊が生じ若干抵抗があります。

>全くわかりません…、どういうことなんでしょうか
私も説明に窮しますが・・一霊四魂は、いわゆる魂の奥行きを説明したものなのです。
それ以上の認識は時間の流れと関係するものなので、個の原理は自然に消滅するのです。
スピリチュアルではよく高次を説明するときに数学の『次元』という言葉が使われ、ま、利便性があるので私も使ってしまうのですが、大概そんなようなものです。
しかし『宇宙』や『神』と名指してある空間内を指しているわけではないので、この説明も語弊が生じます。
これらは生命体なのであり、有機体なので、空間としてコントロールされるのではなく、常に自らあるべき姿を求めて深化し、自然に自己組織化しているような存在です。
なので、常に変化し止まることのない魂のつらなりを説明したもの、という認識が最適と思います。

>それでやはり山河さんがおっしゃるその自我という言葉の意味がとても気になるのですが、自我とは現象界の自分の意識と考えてよろしいですか
使う場合、そのときどきによって言葉の背景が異なるので、なんとも。そのときどきで質問頂ければ。
記事32の一霊四魂の話では、人間として“我”を認識できる限界を示したものでした。

>大学時代に電気消して部屋でお酒飲みながら書き物してたら、カメラのフラッシュみたいに真っ白な光が額で光って、それがPCの黒い画面に反射してはっきり見えた経験があります
それは念写のようなものだと思いますね。
Tさんの話では、自己組織化する光が関係しているそうです。
これは無限に分裂できる幹細胞に酷似しています。雄の精子などもそうです。
一霊四魂や念写のくだりは、『自己組織化』『カオス論』あたりを調べると類似性を見つけられるそうですが、しかし霊現象はカオスではない、ということらしいので、文系の私には何のことやらさっぱりです。
ゴッホさんは念が強いそうですから、興味がおありならば、特技を生かしてそのへんを研究するのも面白いと思います。

>寺林峻
その本を読んだことがないので分からないですが、すみません、武術などを習ったときの、心身のバランスを一致させて、最大限の精神力を発揮するような心持ちに似ているようです。

こちらこそ、ここまでのお目通しを有難うございます。
 

Re6: ゴッホさんへ

 投稿者:山河  投稿日:2010年10月 6日(水)23時39分23秒
返信・引用
  > No.35[元記事へ]

こんばんはゴッホさん。
風が気持ちのいい季節になりました。
返信が遅くなりましてすみません。

>自閉症の人が統合失調症に圧倒的に罹患しにくいのは、
知り合いに数人、自閉症の家族を持つひとがいます。
交流したなかで理解したことは、彼らはこだわりで生活します。
こだわりが生活や仕事に繋がっているそうです。
何か行うのに『こもり状態』にならないとできない、という障害のようです。
クレヨンを持つとクレヨンになる脳の認知スタイル。
共感というひとと繋がる歴史性や、自我の範囲が限定されているため、それがこだわりに映るのではと思います。

それで、ゴッホさんのことを想像してみました。
もっとも生きやすいスタイルはどれかということを。
考えてみますね。
統合失調症のかたもある種、こだわりを携えて生活しているように、私には見えます。
しかし自閉症のひとに見受けられるこだわりとは異なり、生活全般にわたるデリケートな基準や水準をもつということは自分の身を守る部屋のようなもの。
ですから、本来ゴッホさんの心に近づくには、テリトリーに入っていいかという許可が必要になってくるし、身の範疇に関わることは、侵入的に映らないよう慎むことが周りのひとに必要なはずです。
自閉症のひとは、自閉症という世界で生きており、社会と繋がる世界の造り方が独自です。
統合失調症のひとは、人間としてもつ自我の膜が非常に薄く、因幡の白うさぎのように丸裸だから、ひとと関わるうえで代理の保護膜のようなものか、自我強化が不可欠になってくる。
ところが、入院なり気晴らしの旅で気分を一新したとしても、ちょっとした刺激ですぐに破れてしまう精神構造のままに、それも発症を促したと思えるもとの場所、ほぼ何も変わっていないもとの生活空間に戻ることになります。
そうして刺激の洪水に呑まれ、閉じこもったり破綻して再発してしまう。
はじめはこの自我の脆弱性を著しくさせるプロセス(過程とか順序の意で)がもの足りないのかと思っていました。
しかしひとの生老病死は、その人間個体の内側だけで生起し完結するわけではないし、環境との関数として考えざるを得ないのです。
環境との接点、あるいは環境との相互作用とは何かと言えば、それは個人の生活。
落ち着いて過ごせる、自分だけの居場所、自分の理解者が必要なのではないでしょうか?
そのほかには、生活におけるさまざまな体験を自我にフィードバックしていくこと。
思考吹入、思考奪取、思考伝播を経て、他者の侵入という恐怖に対して防衛するのは本能に近いです、それゆえに閉じられた心には自分という単位の価値観しかなく、他者や世界を推し量る難しさが生じてくる。
統合失調症のかたの「自分は迷っていない・病気ではない」という叫びはここから上がるのではないでしょうか。
(※今この話で使っている自我という言葉の意味は、分かりやすく言えば、自分の欲求と社会の常識とのあいだのバランスを取る認識作用のことです)
それらを解消するすべは、今のところ考えられるのは、他人の話を受け止めてゆくこと。
自分の価値観や人生観を広げ、おのれの一部として統一していくことに繋がります。
それは、自分にとって無用な感情を抱かせないような、安心できる相手と成していくとよいと思います。
ゴッホさんには、霊の方々がいらっしゃいますね。
彼らと常に統一するとよいと思います。それを理性の依りどころとするわけです。
そして現実の人間とも、少しずつ交流の範囲を広げて、過去と現実のあいだにある時間と自分自身の生の営みに関する精神的な決算をしていくこと。
また、ゴッホさんの場合は、もし共通した趣味を貫ける仲間が見つかり発表できたなら、社会と懸け橋が生まれる可能性はあると思います。
ご自身の表現するものを本にするといい、という案は私も賛成ですね。
(しかしそこで、潔癖的に自論にこだわるのでなく、ほかのひとにとっても理に適うものであるかを多角的に検証してみては?ということが必要になるのではと私は思いますが・・)

臨床の現場に携わる専門家より格段に少ないですが、さまざまな精神的なわずらいのひとに触れ合って思うことは、根本的な問題はいつでも似ているように感じます。
ひとと分かりあいたいけれど、心の交流がないため精神的にとても孤独で、心のなかに誰もいないのです。
だから自分は無用な存在だと信じてしまいます。
そこで苦しんでいるひとをどうやって助けますか?どうしたらまた希望をもってくれますか?という問題だと思います。
そういうひとの心を開くには、他人を思いやる気持ちがないと不可能です。
ですから人間である限り、現世を、物質的なことを無視することはできません、私が実践を重視するのはそういう意味もあります。
 

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